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Movie Review 10月7日(SUN.)

コレリ大尉の
 マンドリン

 ルイ・ド・ベルニエールの原作はイギリスの大ベストセラーで、『ノッティングヒルの恋人』の書店店主ヒュー・グラントが読んでいたのもこの本だそうで。ふーん。

 第二次世界大戦下のギリシア・ケファロニア島。ドイツの後押しでイタリア軍が島を占領していたのですが、1943 年イタリアが降伏、陽気なイタリア兵たちは「やっと故郷に帰れるぜ! セニョール!」と喜んだものの、ドイツ軍に武器の引き渡しを要求され、抵抗して虐殺された…という史実を描きつつ、島の娘ペラギア(ペネロペ・クルス)とイタリア進駐軍将校コレリ(ニコラス・ケイジ)のロマンスを描きます。

 まあラヴストーリーなんですが、異文化がコミュニケーションを結ぶにあたっての音楽の役割を明らかにせんとす意図があります。

 ペラギアには村男マンドラス(『アメリカン・サイコ』のクリスチャン・ベール)という婚約者がおります。ペラギアは医者の娘で自らも医者を志すインテリ、田舎者マンドラスの粗暴さには不釣り合い、やがてペラギアは、コレリ大尉に惹かれていきます。コレリは島を占領する「権力者」、しかもマンドリンがバチグンに上手い恋愛上手のイタリア野郎とあっては、無教養・無骨なパルチザン戦士マンドラスに勝ち目なし! コレリずるい! マンドラス可哀想過ぎ! マンドラスを演じるクリスチャン・ベールの好演もあって、観客はコレリに対する憎悪をたぎらせやしないか、ドイツ軍がイタリア兵を惨殺するシーンで、快哉を叫びやしないか? …と、私は要らぬ心配をしたのでした。

 実際、島を占領するイタリア野郎は、戦時下の緊張感は丸で無し、ノンビリ歌など歌って島の女(トップレス)と海水浴に興じるヘナチョコ兵ばかりです。実戦経験無し、マンドリンを担いで行進しつつ「2 時の方向に美女発見!!」などとふざけるコレリが「大尉」とは一体イタリア軍はどうなんでしょうか。やはりイタリアと三国同盟を結んだのが日本の敗因か? と私は独りごちたのでした。

 そんなことはどうでもよく、ギリシャ正教(ギリシャ)、カソリック(イタリア)、プロテスタント(ドイツ)とか、異文化間のコミュニケーションの有り様がテーマなのに、コミュニケーションの最初にして最大の障壁=言語の問題が完全に避けられております。イタリア人、ギリシャ人、ドイツ人たちはごく当たり前のように英語で会話する! 英米人はまったく登場しないというのに。どういうこっちゃ。

 アメリカでは「2 時間を超える字幕映画は誰も見ない」そうで、マーケティング的には英語で会話させるのが正解、なのですね。ちなみに製作は、『ニューシネマ・パラダイス』『Shall We ダンス』などの非英語映画を 2 時間以内に短縮、アメリカ向けに再編集して儲ける手口で有名なミラマックス。

 しかし異文化の対立と交流を描くのに、鼻から英語を話すのは如何なものか。ここにアメリカ・グローバリスト(帝国主義者)の代弁者たるハリウッドの本性が透けて見えます。米帝国主義者は「イタリア、ギリシャ、ドイツを支配している」、と思っているから、彼らの言語を奪っていてもなんら疑問に思わないのでしょうが、なんとも気色の悪いですよね。これは。

 また、一旦は音楽の力によってイタリア兵と親交を結んだドイツ兵も、所詮、アーリア民族の優秀性を信奉するドイツ野郎に過ぎず、虐殺を止めようとせず…という具合に、ドイツが戦争犯罪国であることを改めて思い起こさせる、余りにも類型的なドイツ軍描写です。ドイツの戦争犯罪を改めて告発し、EU の結束が固まるのを牽制する米グローバリストの意図が見て取れます。うーむ、ノンビリとした恋愛映画を予想して、こんな政治映画を見せられるとは。

 とはいえ、『恋に落ちたシェークスピア』のジョン・マッデン監督の、ときおりアメリカ映画っぽい節操の無さも覗かせつつヨーロピアン・テイスト漂う演出は堅実、アカデミー賞に 2 度輝くジョン・トールの撮影は絶品。戦争シーンは、ほとんど CG は使っていないみたいで迫力バチグン。『ブロウ』で、メチャいけてないジャージ姿を披露するなど役者魂(Soul)を見せたペネロペ・クルスも好演、ジョン・ハート(えらい老けました)、イレーネ・パパスなど脇の出演者も渋く、オススメ、ですが、やっぱりみんな英語をしゃべっているのは許しがたいかな? パニッシュ・バッド・シネマ! と叫ばざるを得ません。でも泣いちゃったんですけどね。

BABA Original: 2001-Jan-07;

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