心中天網島
4 代目坂田藤十郎襲名が発表され、ノリノリの人間国宝・中村鴈治郎出演の話題作「心中天網島」です。心中は 1703 年に書かれた「曽根崎心中」の上演・大当りによって当時の上方では「稀に見る心中ブーム」が巻き起こり、そのブームがこの名作を生み出したわけです。
日本のシェークスピアと称えられている近松門左衛門の一連の心中シリーズ(曽根崎心中・恋飛脚大和往来・新版歌祭文…他)は有名で、その中でも傑作といわれる「心中天網島」(しんじゅうてんのあみじま)は享保 5 年(1720)に本当に起きた心中事件を題材にして書かれた物。事件発生からわずか 2 ヶ月後には大阪竹本座(人形浄瑠璃・文楽劇場)で浄瑠璃「心中天網島」初日の幕が開いたのでした。
多くの心中シリーズは関西を舞台にし 8 割が人身売買(女郎の身請け)が発端となってストーリーが展開されていきます。金不足・経済力の無さ・取り巻かれる人間関係がメチャクチャなほど悲惨でドラマティックな心中事件が生まれるというところでしょうか。
普段は「第 1 幕・曽根崎河内屋の場」を「河庄」として、「第 2 幕・天満御前町紙屋内の場」を「時雨の炬燵」として個別で上演されることが多いのですが、今回は中村鴈治郎が主宰する私設演劇団体・近松座での上演ということで「河庄」・「時雨の炬燵」に「道行・橋づくし」と「網島大長寺の場」出され、珍しく「通し」での上演となりました。
治兵衛(主人公・紙屋の主人)とおさん(その女房)と小春(北の新地の女郎)という 3 人の三角関係が発端となるのですが、彼の兄、2 人の子供、叔母、岳父、恋敵(太兵衛)などの人間関係が絡み合い治兵衛と小春は結局、大阪の網島で心中を遂げるという物語です。
紙屋治兵衛(中村鴈治郎)は岳父に多額の金を融通をしているのですが、それを表に出さないためにわざと北の新地で自分が使っているようにしています。しかし、(やっぱり)女郎の紀ノ国屋・小春(坂東玉三郎)と深い中になり、お大尽・江戸屋太兵衛と張り合うほどですが、身請けするほどの財力のない治兵衛は他人に引き取られる前に心中しようと約束するのでした。
本来、憎み合うべき正妻と愛人ですが、「別れろ」との抗議を潔く承諾したところから、状況は逆転し 2 人はお互いの立場を考えます。
妻・おさんは悪人・太兵衛と身請けすれば小春さんは死ねる覚悟にに違いない察し、小春の善意に報いようと「子供らの乳母か、まま炊き役か…、いっそ隠居でもしましょうか。」と本人は笑えても治兵衛も観客も笑えません。気丈に言う冗談もここでは悲しみを倍増させる演出効果。張り詰めた劇場内の空気は、このセリフでもってピークを迎えたのでした。
おさんの善意はこれだけでは止まりません。店の資金に自分子供の着物に帯、そして髪に刺していた櫛さえも風呂敷に包み質に持っていって換金しようとします。むちゃくちゃな夫または息子のために、献身的に尽くす女性像はよく歌舞伎に登場しますが、このおさんは数々の世話物の中で最も泣けるキャラクターなのです。
義理の息子が遊び呆けていると知った舅(おさんの父)五左衛門が治兵衛宅に駆け付け、おさんとは別離させ去り状(離婚届)を書けと要求し、わが娘を引きずり帰っていくのです。その晩、小春の身請けが決まり、預かりの身になっている彼女を連れ、死に場所を求めて、やがて大長寺での悲しい結末を迎えるのでした。
全編通して悲しい物語なのですが、中段「時雨の炬燵」は本当によくできた戯曲ですね。しかし、感動の極地に到達しようとしていた僕の横で、秀太郎ご贔屓のおばさんがしきりに「松島屋!」(彼の屋号)を連呼。感動を邪魔されたおばさんに少しばかし、怒りを覚えたのでした。(BABA さん風)
若干 60 歳で人間国宝に指定されたのは、現在大臣を務めている妻・扇千影の政治的働きがあったからでは!? と噂されていた彼ではありますが、芸のほうは確かなもので、何気ない仕草をさせたら右に出るものはいないと言われるほどです。花道から出てくるだけで「うまい!」と大向こう(3 階席のベテラン観客)から声がかかる人気の高さからも伺い知ることができます。
この人が死んだら上方歌舞伎(和事)の芸は必ず途絶えることでしょう。荒事の宗家が市川團十郎とするならば、和事の宗家は鴈治郎ハンである事に間違いはありません。
中村鴈治郎氏の「原作に忠実に!」のコンセプトは彼の私設劇団・近松座を旗揚げし 20 年が過ぎた今、商業演劇になりつつある歌舞伎界の流れに向け大きな一石を投じました。原作を読み返し、作品を洗い直す、そして 18 回の自主公演で「近松門左衛門作品」を考え直す姿勢は、芸術・学術面からの価値もを多いに生み出したといえるのでしょう。
そして、この「近松座」は原作上演・復活上演という表面的な成果にとどまらず、今後の歌舞伎の在り方を問う役割を果たしたのでした。
「歌舞伎って、やっぱり芸術だったのですね。」
観劇後の感想はこんな感じでしょうか?
akira28:web site >> Local! Original: 2001-May-25;