日本の黒い夏
―冤罪―
日本を代表する左翼映画監督、熊井啓の最新作です。脚本も担当。松本サリン事件、河野義行さん冤罪事件に材を取り、ジャーナリズムの本質を抉り出そうとの意欲作です。
お話は、河野さん(映画中では神部さん)の冤罪が晴れた後、高校放送部学生 2 名が、「何故に誤報が量産されたか?」を考察するためのドキュメンタリー制作に取り組むところから始まります。マスコミ各社に取材を申し入れますが、応じてくれたのは「テレビ信濃」一社のみ。テレビ信濃スタッフへのインタビューが始まります。
テレビ信濃スタッフに、「ノロ」なるニックネームの持ち主がいます。「ノロ」曰く、
「やあ、俺、『ノロ』ってんだ。野田太郎を縮めてノ・ロ、さ。ノロマだから『ノロ』じゃないんだぜ。あっはっはっは。」……。
「日本のマスコミ報道は、まず疑ってかからねばならぬ」「日本には、真のジャーナリズムは存在しない」などなど、マスコミ批判が巷間語られていますが、「ああ、こんな呆けどもがいては、まともな報道が成されるわけないじゃないか!」と、私は、熊井監督の見事に的確な描写に、後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けたのでした。あービックリした。
テレビ信濃報道部スタッフの他のメンバーは、プロ魂を持ったデスク、公明正大なる精神の持ち主の女子アナ、そして警察のリークを鵜呑みにして河野氏真犯人説を主張し続ける「トップ屋」風ジャーナリストなどです。彼らと純真無垢な高校生とのディスカッション・ドラマが展開します。この圧倒的な類型化を見よ! 私は、齢 70 、熊井監督の圧倒的な老人力に呆然と感動したのでした。
『戦争と人間』などの山本薩夫、最近では岐阜の百姓一揆の全貌を描いた『郡上一揆』など、左翼映画は脈々と作られていますが、どうにもこうにも登場人物が紋切り型なんですね。資本家の行動は、資本家であることの客観的立場に常に制約され、労働者階級は、現在いかなる意識を持とうともいずれ労働者階級の歴史的使命に目覚めていくのだ、との左翼的テーゼが反映しているのかもしれません。まあ、いいんですが、やっぱりヒネリがないと、なかなか映画は面白くなりませんね。いや、別にいいんですけど。
デスクを演じるのは中井喜一、無実の罪を着せられ、サリンの後遺症に苦しむ河野さんは『ルビーの指輪』の寺尾聰、更に河野さんに無体を働く刑事に石橋蓮司…。うーむ、そのまんまの配役ですね。分かり易いにもホドがあると申しましょうか。まあ、そんなことはどうでもよく、とにかくも河野さん冤罪事件の全容を描き出し、野次馬的に興味深い内容には仕上がっています。
直接的には警察見解を垂れ流したマスコミが批判されますが、一方でマスコミ報道を鵜呑みにする一般大衆の責任も明らかにされます。テレビ信濃が「河野さんは犯人じゃないのでは?」との、世間のムードに逆行する番組を報道すると、一般大衆諸君は「ぼけ、河野が犯人に決まっとるやないけ!」とじゃんじゃん抗議の電話をかけてきます。この、マスコミにいとも簡単に操作される大衆の姿に、私は「日本におけるファシズム復活は、最早準備は完了し、後は発動を待つばかりなのではないか?」と慄然としたのでした。
なんか小泉内閣の支持率が 80 %、田中真紀子外務大臣も大人気とかで、国会答弁で野党が内閣を鋭く追及すると、「小泉さん、真紀子さんを虐めんなよ、おっさん!」との恫喝メールが野党質問者に送りつけられたらしいですね。かようなボケナスの精神構造は、この映画で河野さんの犯行を信じて疑わない一般大衆と同種のものです。いやはや、なんとも恐ろしい事態が未だ進行中であることよなあ、と、熊井監督の(老人力溢れるとはいえ)ジャーナリスティックな視点にいたく感動したのでした。ここで一句。バカばかり テレビ見るバカ 作るバカ。
アッと驚く展開とか、スリルもなければサスペンスもないのですが、ともかくマスコミ報道の度はずれたいい加減さを指摘した、という点で大いに評価すべき作品かも。知らん。オススメ。
BABA Original: 2001-Jun-02;