A.I.
スタンリー・キューブリックが長年あたためた原案をスピルバーグが引き継ぎました。キューブリックっぽさは果たして何処に? …って感じですが、スティーブンもなかなか健闘してるよね…ってなんだか偉そうですね。
パンフレットによると、次々とメガ・ヒット作を生み出すスピルバーグに、キューブリックほとほと感心、特撮に関して質問責めにしたりして親交を深め、一時期は「キューブリック製作/スピルバーグ監督」で撮ろうとの夢の企画だったようです。「主人公は子供が演じる必要がある。キューブリックが撮ると 10 年くらいかかって子供がどんどん大きくなっちゃう。早撮りのスピルバーグならバッチリ!」と、いうことだそうで。
「本当の人間になりたいアンドロイドのお話し」で、ベースに『ピノキオ』を持ってきており、いかにものスピルバーグ・テイストなのですが、驚くべきことに『ピノキオ』導入はキューブリックのアイデアだそうです。キューブリックとしては、「自分は監督しなくていいから、ここらで一発メガ・ヒットを飛ばしたい、『ピノキオ』ネタを仕込めば、スピルバーグは絶対乗ってくるはず!」…との見事な計算ですね。…って違うか。
実際なんともスピルバーグらしい作品に仕上がりました。ここでいう「スピルバーグらしさ」とは、ツッコミは無視して瞬間瞬間の「映画的興奮」を優先する、ということです。「こんな映像が撮りたい!」と思ったら、物語や設定の整合性/論理性は二の次なのですね。
キューブリックなら決して許さない「穴」が満載です。「デヴィッド」なる人を愛する機能を持つ「子供ロボ」を如何に設定するか、がポイントなのですが、
- 眠る機能がプログラムされていないのは如何なものか。
- 食事を取ると、簡単に故障してしまうのは、手抜きじゃないか。
- 抱きついたら離さない圧倒的なパワーを持つのは危険過ぎ。
…など、こんな不完全な製品を世に送り出せば訴えられること必至でしょう。如何なものか?
それに、量産タイプの子供ロボ「デヴィッド」の名前は、すべて「デヴィッド」、容姿もすべて同じです。「あら、このデヴィッドは、宅のデヴィッドかしら、それともお宅のデヴィッド?」とユーザーに混乱を強いるものでしょう。
また、子供ロボにインプットできる愛情の対象が一名限定なのも、マーケティング的に問題ありですよね。夫婦が購買層ですから、インプットできなかった方の親は「こんなもん買うたけど、ワシのこと好いてくれんし…買わん方が良かったナー」とスネるんじゃなかろうか。
それとも「愛情の対象:一名限定」という仕様は、少年ポルノ愛好家をターゲットにしていたのかー? まったくいただけない話です。
そもそも動力はどうなっているのか? 原子力か? メシ食ったくらいで壊れるマシーンだぜ。危な過ぎ!
左様、「人工知能を持つ子供ロボ」に関する考察が、余りにも浅いと思うのです。『ライオン・キング』が『ジャングル大帝』に比して許しがたく幼稚であったように、この『A. I.』も、『鉄腕アトム』などの手塚治虫ロボット叙事詩に比べると、余りにもお粗末です。『タンクタンクロー』や『ロボット二等兵』にすら劣っているのではないでしょうか。よく知りませんが。パニッシュ・バッド・シネマ!!
頭の悪さを映像の見事さで誤魔化す、というか、スピルバーグにとっては見事な映像を思いついたらそれでオッケー! ということでしょうが、肝心の映像も、かつて『ジュラシック・パーク』が持ち得ていたクールさには到達せず、どこかで見たような映像ばかりです。草葉のキューブリックは泣いているぞ! 「メガヒット飛ばしても俺が死んでちゃ何にもならんじゃないか!」
とはいえ、近年パッとしなかったスピルバーグ作品にしては、ジゴロボ→ジュード・ロウが最高にイカしてますし、要所要所でおいしいところをさらっていくクマちゃんは SO キュート! と見どころ満載です。地球温暖化など人類の未来を考えると恐い考えに陥りがちな昨今、「人類が滅亡しても…、まあ、いいか!」…みたいな妙な希望があるのもオススメです。
ここで一句。デヴィッドより 絶対クマちゃん 欲しいよね。
もいっちょ。続編は クマちゃん主演で 作りなさい。
クマちゃん最高!
BABA Original: 2001-Jul-06;