千と千尋の
神隠し
トンネルを抜けるとそこは不思議の国で、両親が豚になってしまった 10 歳の少女は「千尋(ちひろ)」という名を奪われ、異界の温泉宿で「千(せん)」の名を与えられて働くことに、とあらすじを書いてもちっとも面白そうではないのだが、これがどうしてバチグンの面白さなのはさすが宮崎駿、画面作りがビシバシ決まり、「ああ、面白い映画とはこの映画のことだったのだ」と感動に打ち震えつつ、例えば『アルプスの少女ハイジ』のとあるエピソードでは、ただ牧草地に羊を連れて行くだけの話で 20 数分間にスリルとサスペンスをブチ込んだ手腕は健在のわけで、日本映画最大のヒットとなった『もののけ姫』、これまたストーリーテリングの巧さが際だったものの不満が無かったわけではなく、本来勧善懲悪の図式でこそカタルシスを与えてくれる物語のくせに「悪人にも悪人の事情があるのよ」ではイマイチスッキリしなかったのは確かで、扱われた「自然環境保護と技術進歩の対立」と言うテーマもえらく壮大、2 時間少々の上映時間ではまったくもって物足りず、やはり 26 話完結の連続テレビ番組でこそ宮崎駿は最高なのかも、と今回もまたソッと暗闇でつぶやいてみたとしても、凡庸の極みの『A. I.』や白痴にしか撮れぬ『パール・ハーバー』が束になっても適わぬ面白さなのであるが、温泉宿に「招かれざる客」が訪れ、「千」の奮闘で円満解決というパターンが二度反復されるが、これは 26 話完結の連続テレビ番組でこそ輝くパターンなのではないだろうか? との問いを発しつつ感じるのは、『未来少年コナン』の劇場短縮版を見たかのような、「もっとこの世界を堪能したい」という贅沢なる欲望、とはいえ欲望に身をまかせて飽食すると豚になってしまうよ、とは映画の冒頭で示される教訓なのであり、26 話完結で描かれるべき物語を 2 時間で仕上げるのは作り手にとっても見る側にとってもスコブル経済的にて喜ぶべき事態なのであろうか? ただ我々は 26 話完結のテレビ番組形式などこの世に存在しないものとして白い龍が飛翔する映像の快感をただ呆然と享受すれば良いのであり、今回は異世界への侵入、そして脱出という直線的な物語が確かに存在し、「引っ越しなんかヤだなー」とブー垂れていた少女が、「働きたい」という意志を持ち続け、更に「他人を助けたい」、更には「愛」に目覚めて行くという、といってもその「愛」は男女の性愛などでは決してなく、「いい仕事」に必要なもの、それは「愛」なのですよ、というような場合の「愛」なのです、といった、バブル崩壊後にも相変わらず欲望を肥大させ続ける豚的ライフスタイルが支配する日本において人間として生きるためには何が必要なのかを 10 歳の少年少女にも分かる形で示す試みであり、とにかく宮崎駿の物語ることへの欲望、動画に対する圧倒的な「愛」に、そこここに表象される手塚治虫、更には大友克洋の影響を指摘するなどという無粋なことはヤメにして、宮崎駿を「キューブリック亡き後、最高の映画作家」と呼んだとしても、それをただ無知なるが故の大言壮語と断ずるのは早計であり、宮崎駿と同時代を生き、その新作を待望できる特権に我々は深く頭を垂れつつ「ごちそうさま、お腹いっぱい」とつぶやくのみなのであり、バチグンのオススメ。
BABA Original: 2001-Aug-02;