マルコビッチの穴
さて、『マルコビッチの穴』とは何でしょか? とにもかくにも前半、二転三転するストーリーがすばらしいので、中身をまったく知らずに見られることをオススメするぞ。以下ネタばれだ。
ジョン・キューザック演じる主人公は、人形使いとして成功することを夢みている寝ぼけた野郎だ。当然、大道芸だけでは食えるわけもなく、新聞で探し当てた就職先に行ってみれば、そこはなんとビルの 7 と 1 / 2 階、7 階と 8 階の間でムリムリ非常ボタンを押さないと停止しない階にあって、しかも天井がやたらと低いぢゃないか、どう考えても変! なんだけど、ジョン・キューザックは根がアーティストだから「ま、いっかー」と仕事にはげむ。
みなさん、就職して会社につとめ始めたとき、いろいろ違和感を覚えませんでしたか? 受付嬢は言葉が通じないし、社長はエロ話しかしない、と。まあ、そういうことである。彼は、フとしたことで壁にあいた「穴」を発見する。入ってみると、それはジョン・マルコビッチの脳へと通ずる穴だった…。ががーん!
ジョン・キューザック、ならびにキャメロン・ディアス演じるその妻は、「マルコビッチになること」に熱中する。彼は、本当は人形使いで有名になりたいのに、サラリーマンにならざるをえず、彼女は、マルコビッチの身体に入り込んで初めて、今まで自分の身体に感じていた違和感が消えた、すなわち「性同一性障害」であったことが語られる。二人に共通するのは、「現在の自分は本当の自分ではない」という意識だ。
マルコビッチになって体験できるのは、セレブリティの優雅な生活、というよりヒゲを剃ったり、タクシーに乗ったりというごく普通の日常だ。「穴」に殺到する人々は、ただ、「現在の自分」ではない何者かになりたいと願うのだ。マルコビッチである必要は、ない。
「マルコビッチの穴」から抜け出したキャメロン・ディアスは、さながらディズニーランドのアトラクションから出てきて「スゴイ! スゴイ!」とアドレナリンをたれ流す者のようだ。「マルコビッチの穴」とは、現実逃避装置一般の比喩に他ならない。
この映画は、現実逃避にいそしむことの愚かさを描いている。それには「映画」も含まれている。『マルコビッチの穴』を「めちゃくちゃおもしろかった!」などと言うのは、この映画にからかわれていることに無自覚であることに他ならない。メディアは、他人の人生の一断面をたれ流す。テレヴィや映画にのめりこむとは、他人の人生を生きることだ。自分の人生を生きるのに、なぜ、そこまで他人の人生を参照する必要があるのか? と作者たちは問いかけている。「映画好き」の人はこの映画を見て反省したまえ。
前半はすばらしいが、後半はダレる。と、いうか前半もモタモタしてるんだけど脚本の奇想天外さに救われている。後半はなんだかよくわからん。とはいえ中盤にマルコビッチ好きなら思わずのけぞる最高のシーンが登場するぞ。マルコビッチ好きにはマルコビッチだ!
BABA Original: 2000-Sep-27;
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