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Movie Review 2000・5月4日(THU.)

アメリカン・ビューティ

 例えばPremierレビューなどを読むと、「アメリカン・ドリームの崩壊」を描いた、という解釈だが、そんなもんとっくの昔に崩壊しとるやんけ。むしろ、逆に、「再生」の物語と思う。

 話は、後に自分が死ぬことを知っているケヴィン・スペーシーのモノローグによって進められる。死者による回想で語られた『サンセット物語』を連想させ、ビリー・ワイルダーあたりのアメリカン・スクリューボール・コメディの伝統を今に伝える脚本だ。K ・スペーシーはアカデミー主演男優賞を受賞したときジャック・レモンに感謝を表明したらしいが、前半のダメ親父ぶりは、確かにソレ風。

 K ・スペーシーはアメリカ郊外=サバービアに住む「中流」核家族の亭主で、リストラされ掛かりで妻からも娘からも疎まれ、死んでいるも同然。偶然出会った娘の友だちにチンポをピクッとさせてから、猛然と「自分のやりたいことを、やりたいようにやる」人生を輝かせる。

 かねてより「家族の崩壊」そして近年は「家族の再生」を描いてきたアメリカ映画だが、この作品では「家族」というものは個人の全面的発達を損なうモノでしかないことを高らかに宣言、子どもを一定育てたら、家族は解消すべきだ、と主張しているかのようだ。何のためか? それは「美を追究」するためである。『アメリカン・ビューティ』とは、妻アネット・ベニングが育てるバラの品種であり、K ・スペーシーが恋い焦がれるアメリカン・イケイケ・チアリーダーのことであるが、より抽象的な「アメリカ人の美意識」一般のことなのだ。

 K ・スペーシーは、イケイケギャルと一発やりたいがために、シェイプアップに励む。妻 A ・ベニングは、バリバリのキャリア・ウーマンを目指し、そういう人種にありがちな浮気にいそしむ。隣人の親父は、ゲイを毛嫌いする退役軍人、白人至上主義者で、家族に規律を強要する。その息子は、ストーカー気味のヴィデオ・オタクで、親父を適当にあしらいつつモダンアートを指向する。登場人物それぞれに自分の美を追い求める。しかし、美意識に貫かれた行動を取ろうとすると、常に身近な他者――家族の美意識と衝突せざるを得ない。

 かつての家庭では親、特に父親の美意識が家庭を律していたが、もはや家庭というほんの数人の集団ですら、単一の美意識でまとめることは不可能だ。家庭を破壊した瞬間から K ・スペーシーの毎日は充実しまくる。クライマックスは一見「悲劇的」であるが、これは、ロリータ的な物語をタブー視するアメリカ社会の世論の批判をかわすためであり(ポリティカル・コレクトってヤツですか)、K ・スペーシーの末路は、阿呆であるが、自らの美意識に従った幸福感に包まれている。

 単一のアメリカン・ドリームはもはやどこにもない。個人がそれぞれの美を追い求めること、それが新しいアメリカン・ドリームであり、家族に気兼ねすることなどないのだ、自分の美を追い求めよ! ヘタをすると暗い話になるところを乾いたユーモアが漂い、後味は非常に爽快。…とはいえ、それは一定経済基盤がしっかりしている社会でこそ可能な話であり、奇妙な楽天性に満ちたこの映画はアメリカのバブル経済を反映したもの、かも。

 少々ダレるところがないではないが、K ・スペーシーの阿呆ぶりが最高! オススメ。

BABA Original: 2000-May-04;

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