シャンドライの恋
『ラスト・エンペラー』などのベルトルッチの新作。ベルトルッチといえば、『暗殺の森』以降、撮影監督ヴィットリオ・ストラーロとのコンビで作り上げた「映像美」で知られる。溝口健二+宮川一夫のカメラワークに影響を受けたらしい、ジワーッとゆっくり移動するカメラがメチャクチャ気持ちよく、かつて見たことのない色彩があふれる映像だ。が、どういうわけか『魅せられて』以来コンビを解消している。今回も、微妙にベルトルッチ+ストラーロ的映像がないではないが、コマ落とし、ゴダール風モンタージュなど妙なことをしている。ベルトルッチいわく、なんでもヴィンセント・ギャロ、ラリー・クラーク、ウォン・カーウァイあたりの新しい才能にインスパイアされて、「斬新な」映像を撮りたかったみたい。困ったものである。
どうしてストラーロと組まなくなったのか? ギャラが高くなったのか、「こうしてほしい、ああしてほしい」と言いにくくなったのか、憶測するしかないのだけれど、箸にも棒にもかからない感じの『魅せられて』よりはマシとは言え、今回も「なんじゃこれ?」と思うところなきにしもあらず。近作のベルトルッチと言えば、V ・ストラーロの撮影が唯一の見どころだったりするから、考えなおして欲しいところである。
だが、ストーリーはちょっとおもしろい。シャンドライは、アフリカの某軍事独裁国家出身。左翼っぽい旦那が政治犯として逮捕され、どういう経過か、病気に苦しむ子どもたちを救いたい! との大志を抱いて、住み込みの掃除婦として働きながら、ローマで医学の勉強している。なんだかわからないうちに病院の跡取り息子だから医学部に通っているようなヤツとは生きていくことに対する真剣さが違う。カッコいいのだ。
このシャンドライに、イギリス出身の才能のない作曲家、デビッド・シューリスが恋をする。その恋は、もういきなり、伏線も何もなく、唐突に有無を言わせず「私と結婚してくれ! 一緒にアフリカに行ってもいいよ!」と詰め寄る強引なものであり、ヨーロッパ白人男性のアフリカン女性に対する恋というのはこんなもんかいな? 帝国主義的心性というか、植民地支配者的というか。「うるさいんじゃ、ボケ、私には政治犯の旦那がいるのよ、あんたらにアフリカの何がわかるっちゅうねん!」と手厳しく拒否された D ・シューリスは作戦変更、骨董品やピアノをこっそり(しかし、これ見よがしに)売り払った資金で、シャンドライの旦那の釈放を工作するのだが、果たして…、というお話。
D ・シューリスは「なんか、オレって作曲の才能ないかも?」と気づいており、シャンドライをコマそうとするしかやることがない。自慢のピアノも「あんたの西洋音楽は、どこがいいのか全然わからん!」と、シャンドライに言われて形無しだ。ヨーロッパというものは、今や過去の遺産しか役に立つ物がなく、施しを与えるくらいでしか、アフリカの関心を引くことができないのである。ベルトルッチは『ラスト・エンペラー』『シェルタリング・スカイ』など、非西洋に関心を向けてきたけれども、西洋に対してここまで幻滅しているのか? と思わせるストーリーである。
セリフを徹底的に削り、音楽と映像で語ろうとする演出はなかなかよろしい。何と言っても字幕をあまり読まなくて良いのが嬉しい。ストラーロと組まないベルトルッチでも、なんとかなるかも? と今後に少し期待させるのでオススメ。あ、終わっちゃったか。
BABA Original: 2000-May-03;
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