カリスマ
『CURE』『蛇の道』(ヴィデオは『修羅の極道』たらいう題名)など、ガッチリ美意識を貫いた作家主義的な傑作を連発している黒沢清監督の新作。今回は、さまざまな寓意に思いを巡らせつつ、画面は奇妙な緊張感に満ちている、というタルコフスキーを彷彿とさせる作品である。森とか、木とか、廃墟とか出てくるし。
役所広司は、メチャメチャ疲れ気味の刑事だ。とある人質事件で犯人が彼に突きつけた要求は、「世界の法則を回復せよ」。…って言われてもなあ、って感じだがワライタケを食べたりして「ツッタカター、ツッタカター」と上機嫌で森に迷い込む。
そこは、植林してもどんどん木が死んでいくという奇妙な森で、はずれには一本の木が生えている。それは大陸から持ち込まれた「カリスマ」という名の木で、まわりに毒素を吐き出しているらしいのだ。森の若い木から殺していくのだからタチが悪い。池内博之が独りでその木を守っている。
珍しい木、ということで大杉漣らが伐採しようとしたり、森の生態系を守るためには「カリスマ」を切らねばならぬと主張する風吹ジュンの植物学者がいたり、と、「カリスマ」を巡ってあれやこれや、不条理感あふれる物語が展開。
「カリスマ」とは、そのまま、カリスマの寓意なのだろう。周りに毒素を吐き、「普通の」社会を殺していく。一部の狂信者がその存在を守る。「森」を守るためには、カリスマを殺さねばならぬ、しかし、一度「森」のすべてを殺して一から出直さなければならない、とインテリは主張する。金の亡者、俗物は、なんとかカリスマで一儲けしようと、カリスマを我が物にしようと企てる。
さて、インテリでも俗物でもない者はいかにカリスマに接するべきか? 「カリスマ」対「森」の戦いに干渉をせず、あるがまま、戦いの進展を見守るべきだ、とされる。その「見守り」を貫いたとき、自らが「カリスマ」となってしまうのだが。
…と言いつつ、これはボクの見方でしかなく、他の解釈も色々出来る「開かれた」作品だろう。黒沢清作品につきものの、廃墟の造形が素晴らしく、説明的な描写を極力排除して、登場人物が唐突な行動を重ねていくのが、スリリングである。
蓮見重彦あたりが、北野武に継いで、フランス売り出し中なので、見ておいて損はない。たいした得もないかも。いや、とにかくオススメ。
BABA Original: 2000-Jun-30;
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