シュリ
韓国で突如生まれた政治アクション巨編。北朝鮮から潜入したテロ部隊が韓国の要人を次々と暗殺、『八月のクリスマス』では善良なる写真店の主人を演じたハン・ソッキュが韓国のシークレット・サービスに扮し、テロリストを追う。からめて男の友情や悲恋物語もあって、「理屈ぬきにおもしろい映画」と見ることもできようが、以下少々理屈をこねさせていただく。
テロリストと、その計画を阻止せんとする刑事(またはそれに準ずる国家権力)との丁々発止の戦い、という政治+サスペンス+アクションというこのジャンルは、リアリズムをつらぬいた『ジャッカルの日』から、荒唐無稽さを強めた『ダイ・ハード』シリーズまで、アメリカの独壇場だろう。「こういう映画が作れないから日本映画はダメなのだ、モタモタしている間に韓国に先を越されてしまったではないか、プンスカ!」などと嘆く方もおられましょう。そりゃそうなんだけどさ、果たしてこういう映画が作られる国が良いのかどうか? を考えてみる。
なぜ、アメリカでこのジャンルが発達したかというと、アメリカの資本家は大衆扇動・プロパガンダの道具として娯楽映画が最適であることを見抜いており、資本をガンガン投下しているからだろう。このジャンルにおいては、資本家連中が国民に「悪」と感じて欲しいものを簡単に、バカでもわかるようにやさしく観客に教え込むことができる。
『シュリ』の元ネタのひとつになった『ブラック・サンデー』の場合、当時テロを怖れた日本の配給会社は劇場公開できなかった(ヴィデオで見ることができる)、という事実が象徴するように、アメリカのこのジャンルの映画は登場する善玉・悪玉は実在する組織を扱うことが多い。「悪玉」とされるもの、それは中南米の麻薬組織、ソビエトなど社会主義国の特殊部隊、パレスチナ解放戦線、北アイルランド解放戦線などなどなど。それらが、なぜ『悪』なのかが映画の中で精密に論証されることはなく、またゴチャゴチャ理屈をこねると娯楽性が損なわれるぢゃないかという風潮もあり、そいつらが「悪玉」であるのが当然の前提として描かれる。観客はスリルとサスペンス、に手に汗握り、ときにはラヴロマンスに涙している間に「へー、そーなのかー、恐いモンやなー」と「仮想敵」を刷り込まれる。
日本においては、なぜか資本家層が映画で大衆扇動・世論操作を行おうとすることは少ないようだ。『プライド/運命の瞬間』、キムタク主演の『君を忘れない』など、たまにムキムキなものもあるが、それらはサスペンス・アクションでなく「娯楽性」という点で劣るものなので、映画を見ている間に理性をマヒさせられることはない。アメリカ映画のアンフェアさに比べりゃ全然マシだろう。例えば『インデペンデンス・デイ』という大統領が大活躍する「アメリカが世界の憲兵なんだぜ」政府公報的映画があったが、ドイツ出身のローランド・エメリッヒに監督させ SF ボンクラ映画を装うという卑怯さだ。
思うに日本ではテレヴィが十二分に世論操作を行う道具の役割を果たしているから、わざわざ映画に大金を費やすこともなかろうということか。今のところ日本でアクション大作が作られることはマレであり、反面、作家主義が貫徹された(ように思える)映画が生まれやすい傾向にある。アメリカの大作では映画の最終編集権を監督が持ってないケースが多いが、日本の場合はあんまりそういうのって聞かないよね? 喜ぶべきぢゃあないだろうか?
それでも上質の日本製政治アクションを見たいというか? それは、憲法改正、徴兵制、盗聴法、国民総背番号制などなどを肯定する物語となるだろう。そんなの見たいですかね(ボクは見たかったりするけど)。
さて、前置きが長くなったが(長すぎるっちゅうねん)『シュリ』。キネマ旬報の特集記事を読むと、韓国では 1960 年代生まれの映画監督がヒット作を連発しているらしい。その背景には財閥系の銀行資本が映画製作に積極的に乗り出し、資本を投下している事情があるらしい。『シュリ』の 3 億円の製作費は韓国にしては破格のものらしいが、そういうコトで初めて製作可能になった、とのこと。韓国でも、アメリカ流世論操作の手段として映画が活用され始めているのだ。
冒頭、北朝鮮のトンデモ訓練風景が描かれる。一例を挙げると、兵隊同士がヨーイドンで拳銃を組み立て、早く組み立てた方が相手の頭を撃ち抜く、というものだ。サラッと流される衝撃的な訓練のシーンの連続で、観客は疑問を持つ間もなく北の脅威を刷り込まれるというわけだ。この一連の描写をデマ宣伝だと言うのではない。軍隊における非人間的な訓練は北朝鮮に限らず、どこの国でも存在可能だからだ。アメリカではもっとスマートに行われているだけで(『フルメタル・ジャケット』参照)、「殺人マシーン」を作るというコトにおいては、同じようなモノだ。しかし『シュリ』のは、あんまりぢゃないか? ただの「北の悪口」?
とにかく全編を通じ、CG も多用したゾンザイな残酷描写を適度におりまぜ、悲恋物語で観客の涙を誘いつつ北朝鮮の脅威を徹底的にあおる。北朝鮮の人がこの映画を見たら怒るぞ? この映画の真のメッセージは「酔っぱらって道でゲロを吐いたりハンバーガーをたらふく食ったりできる南に生まれて幸せ! 北で生まれてたら過酷な訓練で殺人マシーンにされちまうし、恋愛にも不自由しちゃうぜ!」ってことなのだ。北朝鮮が無茶な国、という事実はあるにしても、こんな映画で泣いてていいのか?
こういう意図があったとして、「上質の娯楽性」でボクの理性をマヒさせてくれたなら良かったのだけど、どうにもショボい。プロフェッショナル秘密諜報員と、殺人マシーン部隊の対決なんだが、アマチュアの域を脱していないぞ。主人公の秘密諜報員が狙撃現場に駆けつけるシーンがある。彼は驚くべきコトに、素手で落ちていた薬莢をつまみ上げるのだ。お前、それでもプロか? 指紋など残していないことは明白なんだろうが、こういうときは胸ポケットからペンを取り出し、薬莢に差し込んでシゲシゲと眺めるもんだぜ。全編、こういう調子であるから白けることはなはだしい。伏線も、張られた時点でネタがすべてわかってしまうし、銃撃音など音響効果はなかなか良いが『ヒート』を越えるモノではない。音楽は『ターミネーター』くさいし。
しかし、公式サイトの BBS を眺めていると絶賛の嵐である。この映画のメッセージを流布することは日本の支配層の要求にも合致するものであり、マスコミも「なんか、スゴイぜ!」って煽ってるみたいですな。ボロカスに書いちゃったので、「こんな感動的な話をそんな風に見るなんてヒネくれてますね」とか「可哀想な人」とか「偏っている」とか、「田舎者の内輪ウケ」とかおっしゃる方もおられましょうが、あんまり素直過ぎるとトンデモないところに連れていかれてしまいますよ、と私は言いたいのである。とにかく、非常に気色の悪い映画なり。
BABA Original: 2000-Jan-31;
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