スペース トラベラーズ
金城武くん、安藤政信くん、池内博之くんの三人の若者が、銀行強盗を働くも、5 分で終わらせるつもりが、ガッツ石松氏の反撃に会い、警察に取り囲まれてろう城するハメに。ストックホルム・シンドロームかどうかは知らないけれど、深津恵理嬢ら人質と交流が生まれ、自らを「スペーストラベラーズ」なるアニメーションの登場人物になぞらえる奇妙な共犯関係が生まれる。筋立てはシドニー・ルメットの名作『狼たちの午後』であり、ラストはなぜか『明日に向かって撃て!』。前半楽しく、後半悲しいと、アメリカン・ニューシネマの構成が援用される。
監督は、『友子の場合』で(ボクの)注目を集め、『踊る大走査線』でブレイクした本広克之氏。かねてより、「名作」の引用が目立ち、ともすれば「なんか、新鮮味ないなあ」感がないではなかったのだが、『踊る大走査線』は、脚本の君塚良一氏の力業か、伏線をキッチリ拾っていく構成の妙を感じさせてくれた。
しかし、今回は別の脚本家を起用し、本広監督の真価が問われる作品であるが、オタク的な臭いがプーンと立ちこめ、非常に気色悪い映画になってしまった。言うなれば、アニメの登場人物に自らを投影する犯人+人質たちは、監督の、名作を自己の作品に引用する感覚と対応しており、犯人+人質たちの行動原理の不自然さは、そのまま作品の、充分名作の名場面を咀嚼せずに、拝借しただけの、なんというか、魂のこもらない、適当に上手にまとめただけの、きわめてテレヴィ的な作品なのである。映画館で見るには、つらい。
原作は『アドレナリン・ドライブ』にも出演していたジョビジョバなるコント集団(?)の舞台劇らしく、犯人と人質の交流が生まれる瞬間は、まことにコント的。それはキャラクターにも言え、渡辺謙氏を観れば、なんらテロリストの実態をリサーチすることなく、テレヴィ、映画から仕入れた記憶を元に捏造されたテロリスト像であり、観客をして初登場から「あ、これはテロリストだな」と直感せしめるステレオタイプである。ステレオタイプを利用するならば、ステレオタイプがどう行動するかに頭を絞らねばならないのに、単にステレオタイプを登場させただけで満足している監督は、やはりオタク的。「どっかでコレ観たことあるなあ、ああ、アレか」と納得して満足できたあなたはオタク。
他方では本広克之氏が多感な時期に鑑賞して影響を受けたとおぼしき 70 年代アメリカン・ニューシネマのセンチメンタリズムを導入しようとするが、練りに練り上げられるべき舞台劇調の演出部分と、瞬間のみずみずしい映像を称揚するニューシネマ的演出部分が、一本の映画に同居できるはずもない。作品の事前の設計段階で大きな誤りを冒しているのである。
しかし、本広監督は応援したい。浜ちゃんとかでお茶の間的ヒットを狙うのでなく、小規模、テレヴィ資本を入れない映画でがんばってほしい。うむ。
BABA Original: 2000-Apr-27;
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