救命士
ニューヨークの夜を駆ける救急救命士ニコラス・ケイジの三夜のドタバタを描く。
撮影はロバート・リチャードソン。『ヒマラヤ杉に降る雪』と同じ。美松はリチャードソン特集ですな。この二つを続けて見れば、彼の撮影の特色は明白。ひとことで言えば「映像出しゃばり過ぎ!」ってことだ。
R ・リチャードソンは、オリヴァー・ストーンの撮影を担当することが多いが、この『救命士』も、思わず目を引きつけられる「刺激的」な映像が連続する。欧米の撮影監督は照明も含め、画面の見え方全般に責任を持つんだけど、リチャードソンの照明はやたらドラマチックで、例えば、数分間の MTV や数十秒のテレヴィ CM なら、その大げさな画面も効果を上げるのだろう。しかし、短いものでも 90 分はある映画には、はっきりいってそぐわない、と思う。
見ている間、退屈はしていないように感じるが、表面的に眼が画面を追っているだけだ。やあやあ、きれいな、かっこいい映像だなあ、と感じているということは、物語から意識がそれている、ということである。これは、真に没入できる最高に「おもしろい」映画を見た経験がある人なら、納得していただけると思うが、映像の美しさと物語のおもしろさを同時に感じることはできないのだ。画面を見て「美しい…」と思う瞬間は、物語が停滞している瞬間だ。逆にいえば、見た目が美しすぎる映像は物語を停滞させる効果を持つ。
さらに、映像は凄いが、なんかつまらんな、ということでやたら細かくカットを割って、観客の興味をつなぎ止めようとする。で、ますます観客の目は映像の表面のみを見つめることとなる。悪循環である。
R・リチャードソン撮影の映画、例えば、『モンタナの風に吹かれて』は、たっぷりの上映時間に長回しでモンタナの風景がとらえられ、抑制が利いた美しさであり、これはまだマシだった。しかし、どういうわけか、監督も「いっちょう斬新な映像で行きますか?」と、リチャードソンと意気投合、張りきってしまったような映画、というのは壊滅的につまらなくなってしまっている。オリヴァー・ストーンの『ナチュラル・ボーン・キラーズ』、クリントンのセクハラ疑惑を予言した『ワグ・ザ・ドッグ ウワサの真相』、そしてこの『救命士』。どれも題材はワクワクするほどおもしろいのに、映画としては退屈きわまりない。観客の集中を妨げないオーソドックスな画面であれば、もっと素敵な映画になったはず、と思う。
例えば同じスコセッシでも、『クンドゥン』に比べてこの映画のとんでもないつまらなさとは、一体どうしたことか? といぶかる方もおられよう。『クンドゥン』の撮影監督は『ファーゴ』、『ビッグ・リボウスキ』などの名手ロジャー・ディーキンスであり、もちろん監督の意向がモノを言っているのであろうが、撮影監督が違うだけで、出来上がりは雲泥の差となるのだ。
マーティン・スコセッシは、以前からカメラワークなどに少々凝りすぎて「観客の感情の流れ」というものが、途切れる傾向があったが、ついにこんな映画を撮ってしまった。反省してほしいものである。
ほとんど内容に触れていないが、要は、欲求不満のニコラス・ケイジが、救命士という職業を利用して、パトリシア・アークェットにちょっかい出す、という話。ともかく、MTV みたいな映像は、もう飽きた。まだ飽きていない人にはオススメする。
kawakita Original: 2000-Apr-11;
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