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Movie Review 2000・4月8日(FRI.)

ヒマラヤ杉に降る雪

 第二次大戦直後のアメリカ北部の沿岸漁業が盛んな小さな町で、「殺人事件」の裁判が行われる。容疑者は日系人。

 事件を取材するのは地方新聞記者イーサン・ホーク。容疑者の妻、工藤夕貴とは子どもの頃からの知り合いである。裁判の進行とともに、二人の子ども時代がフォトジェニックに回想される。

 第二次大戦中の日系人の収容所送りの問題を扱っており、アラン・パーカーの『愛と哀しみの旅路』を想起されよう。アメリカにとっての敵国であるドイツ、イタリア系移民は特にどうということもなかったのだが、日系移民だけは強制収容所送りになった、というもので、アメリカ白人の、差別意識を顕わにした出来事である。一説によると、日系移民は持ち前の勤勉さで、白人の職場をどんどん奪ったことに対する反発が根っこにあったらしい。日本が経済的に潤うことを快く思わない、というのは現在のアメリカも同様であろう。

 特筆すべきは、日系人の側にも白人に対する差別意識がある、としている点だ。工藤夕貴は、イーサン・ホークと恋仲になりつつも「愛しているけど愛していない」などという西洋合理主義ではとうてい理解不可能な理由で別れを告げる。根底には、日系人コミュニティからつまはじきにされたくない、という差別の構造がある。現代においても「若いうちは外人と適当に遊ぶけれども、いざ結婚となったらやっぱり日本人よね」って感じで同様の意識は存在しているだろう。

 結局、アメリカ白人代表イーサン・ホークが過去のしがらみにこだわることをやめて温情を発揮し、日系人らは感謝感激する、という結末をむかえる。日系人の強制収容所送りは白人の中の一部の者の不寛容さが生み出したもの、白人の中にも「人種平等」の精神を持つ者がいる、という論調である。平等主義者の代表はマックス・フォン・シドー演じる弁護士であろう。しかし、彼は単に法の下での平等を信奉し、自らの職務を全うしているだけだ。この映画が、日系人強制収容所送りを反省しているものとは思えぬ。「殺人の動機」とされた、白人による日系人所有農地の詐取に対する追及は中途半端だし。

 演出はムードに流れ、異常に画面の「美しさ」を偏重したもので、映像に心が奪われている間に、なんとなーくアメリカ白人も反省しているような気になってしまうが、実態は、アメリカ白人は世界の憲兵なんだから、心の広いところも見せなきゃいかんと、アジア人を支配する上での作法を説いているだけなのである。

 監督はいかれたピアニストの半生を描いた『シャイン』のスコット・ヒックス。撮影はオリヴァー・ストーンとのコンビで知られるロバート・リチャードソン。とにかく、きれい、きれい、きれいな(淀長風に読んでください)映像の連続で、ラヴロマンスのパートは死ぬほど退屈。映像凝りすぎ。ヘヴィな題材に、見た目だけの美しい映像はそぐわないと強烈に思うが、これがアメリカ映画の手口なのであった。

 イーサン・ホークが主人公なのだが、いてもいなくてもいい感じ。一方、裁判シーンはマックス・フォン・シドーが弁護士、『L. A. コンフィデンシャル』以降、最近がんばっているジェームス・クロムウェルが判事で、なかなか楽しく見ることができる。この辺をガーンとメインに持ってきて欲しいところだ。ま、デートムーヴィーとしても、社会派ドラマとしても、オススメはしかねますが、ぜひ、ワタクシのレビュウなど気にせず見に行ってくだされぃ。

BABA Original: 2000-Apr-08;

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