3 ついでにモダンソウルとは何か
ノーザンソウルシーンの人達にとって、ソウルミュージックは 70 年代に入る頃に死んだ。はずなんだけれど、現実はそう簡単にはいかない。70 年代に入っても、ファンクやニューソウルとは別に、ノーザンソウルの魂を受け継いだかのようなソウルミュージックは産まれている。それもソウルって呼んでもいいんじゃない? と言い始めた人達がいて、それらをモダンソウルと呼ぶことにした。
つまりモダンソウルとは、70 年代以降でノーザンソウルの魂をもった、レア且つダンサブルなソウルミュージックのことである。
4 では何故ソウルサバイバーズを支持するのか
私は、ソウルミュージックは 70 年代の末頃に一度死んでいる、と考えている。それは、その頃にアメリカの黒人コミュニティーが崩壊しているからだ。
ソウルミュージックは、まぎれもなくアメリカの黒人コミュニティーに基づき、そこから養分を得ている音楽だった。それが崩壊してしまう。
そして、その後に登場したのがヒップホップだ。ヒップホップは、崩壊後の黒人コミュニティーをどうするか、という問題意識によって作られている音楽である。MC 達のライミングは、顔の見えない兄弟姉妹達・子供達に向かって語りかけるものだし、DJ 達のサンプリングは、バラバラになったソウルの遺産をつなぎ合わせるものだ。故にヒップホップは、黒人達にとって現在一番リアルな音楽となっている。
それでは我々はどうか。我々にとってリアルな音楽などあるのか。これはなかなかに難しい問題だ。テクノロジーの発達によって他人との関係性が稀薄になり、溢れかえる情報によって世界像が見えにくくなり、快楽主義的・消費資本主義的傾向によって愚民化されていく我等。常に輸入音楽とその模倣を聴いてきた我等。このような我々にとってのリアルな音楽とは?
このような問いに、ここで答えなど出る訳がない。急ぐ必要はない。急ぎすぎて、流行の音楽をひたすら追いかけ、疲れはてるのがもっともバカらしい。
こういった場合は、まずじっくりと過去の遺産に耳を傾けるのが肝要だ。そして、ノーザンソウルシーンには、素晴らしい過去の遺産がぎっしりと詰まっている。産まれたてで、最も熱く輝かしかった頃のソウルミュージックが、凝縮されて詰まっているのだ。おまけにダンスという、身体性の復権もできる。これが私の「ソウルサバイバーズ」を支持する理由である。
もちろん、過去の遺産はソウルミュージックに限ったことではない。が、もしあなたが黒人音楽に、ダンスに、階級闘争に、哲学に、文学に興味があるのなら、一度ノーザンソウルシーンを覗いてみても、決して損はしないと思う。
私は、これから先の時代は、ソウルなしには何も分からない、と確信している。
5 そして最後に
なんのかんのとゴチャゴチャと述べてきたが、言ってみればたかが音楽、たかがクラブイベントである。それも日本のノーザンソウルシーンなんて、イギリスのそれのような狂熱的なものなどある訳もなく、はっきりいってショボイものである。が、それでも、この「たかが」に「されど」を付け加えるのは、あなたの力である。我々にはあなたの力が必要なのだ。今は眠っているが、実はしっかりとソウルを持ったあなたの力が。
というわけ訳で、「ソウルサバイバーズ」を、どうかよろしくお願い致します。
(小川顕太郎 )