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Text by 小川顕太郎
2005年09月01日(Thu)

小林古径展
アート

 京都国立近代美術館に「小林古径展」を観に行く。小林古径は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家。切手のデザインなどにもなつてゐるし、日本人ならその絵を見れば「ああ、この絵。なんか見たことある」と大抵の人が言ふと思ふのだけれど、その割には名前はあまり知られてゐないやうな気がする。私も興味はあるが詳しい事は何も知らない、といふ状態だつたので、これはいい機会だと繰り出したのである。

 歴史画を主に書いてゐた明治時代から始まつて、浪漫主義的な大正時代、独自の境地に至つた昭和時代まで、ほぼ年代順に約120点ばかりの作品が展示してある。それら全てを通して感じられる繊細さ、静謐な中にある緊張感、などが素晴らしい。日本画ゆゑ、着物が多く描かれるのだけれど、その波打ち・皺になりながら身体にまきつく様が目を喜ばせる。同様に、武士の甲冑や武具、モブシーンにおけるそれらの入り乱れた様子、孔雀の羽、犬の体毛などが、細かく・複雑繊細に描かれる様も、画面そのものは静かに止まつてみえるのに、生き生きとしたアクションを感じさせ、思はず「眼福、眼福」と呟いてしまつた。さらに言ふなら、その色彩。日本画に独特のそれらの美しい色の氾濫は、目にも綾なのだけれど、それでもやはり絵そのものは静謐感が漂ひ、小林古径の静と動の弁証法にすつかり魅せられてしまつた。お金があれば買ひたいな、と真剣に思ふ。カタログも購入したが、実物が表してゐるこの静と動の弁証法は、残念ながらあまり出てゐない。来て良かつた、やはり絵は実物を見なければならない、と、強く再確認したのでした。

 今回は常設展も良くて、“書と抽象画”といふテーマで井上有一や森田子龍の作品が多く展示してあつた。やはりこれらも、実物の持つ迫力は違ふ。特に井上有一は、圧倒的なソウルに満ちてゐる。一体何が違ふのだらう? と考へ込んでしまつた。こんなもの、一歩間違へば単にもの凄い下手くそな書、なのに。

 他にもユージン・スミスの戦争写真を見て「タイムリーだ!」と頷いたり、浜田知明といふ銅版画家の作品に感心し「よし! この名前を覚えておかう」と決意したり、充実した一時であつた。

 うーむ、もつと美術館に足を運ばねば、しかし、美術館は閉まるのが早いんだよなァ、と、夜が仕事の私は思ふのでした。

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