梅田まで
とりあえず梅田にまで行ってみる。私の気のせいかもしれないが、京都という街はどうにも求心的というか閉鎖的なかんじがあり、気をぬけば中に閉じ込められるというかそこで完結してしまうような気がして、私とトモコは意識的に月に 1 、2 度は大阪か神戸に出るようにしているのだ。
まずは腹ごしらえ。で、私は「神田そば」に行きたかったのだけれど、トモコがうどんを食べたいと主張するので、うどんのない「神田そば」は泣く泣くあきらめて、「さぬきうどん」という訳分からん店にいく。「神田そば」に未練のあった私はそば焼酎を注文してグイグイ飲みながら、お酒を飲もうとしないトモコに「青山二郎はどんなにいい骨董を持っていても、お金がなければすぐ売り払ってお酒にして飲んでいたらしいよ。美を所有するのではなく、美を生きるというのは正にそういうことだよね」と適当な事をいってからんでいると、「私は白洲正子じゃない」と一蹴されてしまった。そりゃ、その通り、すんません。
別に目的があった訳ではないのでフラフラと百貨店やレコード屋や古本屋をまわる。ほんとはカフェもまわりたかったのだが、時間がなくてまわれなかった。昼夜逆転している生活を送っているので出かけるのがどうしても夕方になってしまい、時間がないのだ。ついでにお金もないので、古本屋で買う本はどうしても文庫や新書が中心となる。『朝日新聞血風録』稲垣武(文春文庫)、『株とは何か(改訂版)』奥村宏(朝日文庫)、『渋沢家三代』佐野真一(文春新書)など。
唐突だが私の友、可能涼介は昔から『頭脳演劇』という概念を唱えて自らを「頭脳演劇家」と称しているのだが、その彼がこの間「自分の唱えている頭脳演劇という概念は、東浩紀の郵便的という概念に近い。すくなくとも同時代性はある」と言い出したので驚いたのだけれど、その東浩紀の『存在論的、郵便的』が古本であった。さんざん悩んで買ってしまった。読むかなあ。
レコードは『世界残酷物語』のサントラやオリエンタルエクスプレスの『セクシーバスストップ』、スペクトラムシリーズの『ソウル スペクトラム』などを購入。
帰りは「ブコ・ディ・ムーロ」でパスタを食べる。ワインを注文してから気付いたのだが、前から気になっていたカクテル「ブラックレイン」がメニューにのっている。これはスパークリングワインになんたらという黒色のリキュールを混ぜて作るもので、もちろん映画の『ブラックレイン』にちなんでいる。ものは試しとそれも追加注文。むむっ。なんか変わった味だ。でも結構イケル。と右手に赤ワイン、左手にブラックレインを持った私はひとりごちた。
小川顕太郎 Original:2000-Aug-24;