闘ふ人々
雑誌「新調45」にてビーフが勃発してゐる。中島義道(哲学者)と小谷野敦(比較文学者)の間でである。簡単な経過は、まづ昨年の9月号で小谷野敦が軽く中島義道をディスし、それに対して今年の1月号で中島義道がディスり返したのを受けて、今月号(2月号)において小谷野敦が自らの連載ページを全て使つて応戦した、といふ感じである。私はこの二人に、前から注目してゐた。何故なら、二人とも「闘ふ人」だからである。何と闘つてゐるかと言ふと、それはもちろん、「世間」と闘つてゐるのだ。
それも「言論で」などといふ生易しいものではない。いや、言論で闘ふのももちろん大変だし、時によつては命懸けだが、大抵の場合はさうでもない。直接世間とぶつかる方が、大変だらう。具体的に言ふと、中島義道は世間に溢れる「騒音」に対して、小谷野敦は「禁煙ファシズム」に対して闘つてゐる。中島義道は、駅や街角で流される無駄な放送に対し「うるさい! 無駄な放送を流すな!」と文句を言ひに行き、無駄な標語を書いた看板に撤去を求める。小谷野敦は、路上での喫煙を禁じた千代田区は憲法違反だとして、わざわざそこまで行つて煙草を吸ひまくつたりしてゐる。それぞれの闘ひぶりは、各自の本に収められてゐるので(『うるさい日本の私』中島義道・『すばらしき愚民社会』小谷野敦など)、興味のある方はそちらを読んで貰ふとして、とにかく私はかういつた世間と闘ふ人が好きなのだ。凄いなー、と、感心してしまふ。それは私自身が自らの根性無しのせゐで世間との闘ひを避けがちなことに、内心忸怩たるものを常に感じてゐるからかもしれない。……んが、まー、それはさうとして、その以前から注目してゐた二人がビーフ状態に入つたといふ事には、軽い興奮を覚えた。ま、今のところやりあつてゐる内容はつまらないことなのだけれど、日本ではすぐに対立が有耶無耶にされてしまふので、是非お二人には徹底的にやりあつて貰ひたい。どんなにつまらない事でも、徹底的にやりあへば何かが産まれる。かもしれない。などと、傍観するダメの人である私なんかは脳天気に思ふ訳です。
んで、チョット話は飛ぶのですが、私がここ数年一番「凄い!」と思つてゐる「闘ふ人」は、日垣隆な訳です。その日垣隆の新刊『世間のウソ』(新潮新書)が出ました。私は早速買つて読了しましたが、もちろんオススメです。ッて、なんか宣伝みたいになりましたが、今日はこんな感じで。ではー。
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