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 Diary 2004・9月16日(Thu.)

永遠のモータウン

 みなみ会館にて映画『永遠のモータウン』を観る。これは、現在に至るポップス、ソウル、そしてロックの基礎ともなつたモータウンサウンドを支へたスタジオミュージシャン集団、通称ファンク・ブラザーズに光りをあてたドキュメンタリー映画である。これはモータウンに限つた話ではないと思ふのだけれど、ソウルやポップスの世界においては、どれほど優れてゐても、演奏者に光りがあたることはほとんどない。しかし、モータウンサウンドは、「ロック」を創り上げたビートルズを始めとするイギリスの連中が、かなりその演奏を研究して取り入れてゐたことからも分かるやうに、あまりに革新的であつたため、そのサウンドに注目する人たちが現れ、研究書を出したりして、それがこの映画に到ることとなつた。ついでにファンク・ブラザーズも再結成し、現役の歌手を招いてライブを行つたりして、その様子がこの映画の柱のひとつとして収録されてゐる。それは、ある意味、幸運の賜のやうな映画である。

 幸運? それはおかしい、彼らの成した偉業を考へれば、これまでの彼らがあまりに不運だつたのであつて、この程度の栄光でとても釣り合ふとは思へない。と、いふ意見もあらう。確かに、彼らはあまりに不当な扱ひを受けてきたかもしれない。しかし、ソウルやポップスの歴史を見てゐると、そのやうな不当な事実に満ちあふれ過ぎてゐて、この程度のことでも「幸運」であつた、といふ感想を持たざるを得ないのだ。ポップスの世界は、光と影の世界である。スターの放つ光が眩しければ眩しいほど、背後には膨大な、漆黒の闇がある。栄光とは、もともと不公平で不当なものなのではないか、と私は思ふ。

 この映画に関して高橋道彦が面白いことを言つてゐて(「レコードコレクターズ」2004 年 6 月号)、この映画はファンク・ブラザーズの中心人物であつたアール・ヴァン・ダイクやジェイムズ・ジェマースンが死んでゐたからこそ可能であつた、もし彼らが生きてゐたら、彼らのみに光りが当たつて、ファンク・ブラザーズ自体は影に沈んだままであつたらう…と、そのやうな感じの事を言つてゐるのだ。実際、安い賃金で奴隷のやうに働かされてゐた彼らであつたが、実はアール・ヴァン・ダイクやジェイムズ・ジェマースンは会社から特別に多額の金を貰つてゐたのである。他のメンバーはその事を知らなかつた。ここにも、光と影がある。この映画は、本当に「影」のための映画なのだ。

 だからなのか、映画は非常に地味な佇まいである。再結成ライブに呼ばれた現役アーティストも地味なメンツだし(モンテル・ジョーダンとか、個人的には大好きですが)、全体にキラキラしたところの微塵もない、些か見窄らしい雰囲気が漂つてゐる。が、それでも、やはり、感動的なのである。私は何度か涙ぐんでしまつた。彼らの話す当時のエピソードは興味深いし、スタジオAの様子など、見るべき映像も多数ある。なにより、やはり音楽が素晴らしい! ノーザンですよ、ノーザン。この世の幸福と快楽が全て詰まつたやうな魔法の音楽。スクリーンで観られるのなら、スクリーンで観ることをオススメします。

小川顕太郎 Original: 2004-Sep-18;