Diary 2004・9月15日(Wed.)
薄明
仕事柄帰るのが遅いので、寝るのはいつも朝になつてからである。だからと言ふ訳でもないが、最近は、いつも寝る前にベランダに出て椅子に座り、朝焼けを眺めるのが習慣となつてゐる。ちやうど気候も良く、とても気持ちがいいのだ。ぼんやりと惚けたやうに薄明の空を眺めてゐると、頭の中に「春はあけぼの」といふ枕草子の一節が浮かんできて、「今は春ぢやないッて」と自ら突ッ込みをいれるのだが、この頭の中のやりとりを、ほぼ毎日のやうに繰り返してゐることに気づき、チョット怖くなつた。ほんとに、頭が呆けてきてゐるのかもしれない。ハッと気づけばスッカリ夜が明けてゐることもしばしばで、その間に脳味噌が働いてゐたとはとても思へない。マジで、ヤバいかもしれない。
ところで、ここ数日、もうひとつ気になつてゐることがある。それは、私の家のベランダは東向きになつてゐて、もちろんだからこそ夜明けを見ることが出来る訳だが、当然の帰結として西側の空を見ることができない。が、美しい朝焼けが東の空を染めてゐる正にその瞬間、西の空はどうなつてゐるのだらうか、といふ事が気になつて仕方がないのだ。話によると、ちゃうどその時には、西の空には地球影が出てゐるといふ。太陽に照らされた地球の影が、大気に写つてできる影である。私はいまだ地球影を見たことがない、多分。知らずに見たことはあるかもしれないが、意識して見たことはない。一度、おお! これが地球の影か! と、感動しながら見たいものである。…などと考へてゐるので、肝心の朝焼けを目の前にしながら、ちつともそれに集中してゐなかつたりする。頭の中で同じ会話を繰り返したり、見えないもののことに想ひを馳せたり。
やはり、マジでヤバいかもしれない。
小川顕太郎 Original: 2004-Sep-17;