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 Diary 2004・1月30日(FRI.)

尺牘

 久しぶりに篆刻教室へ。そこで今日は、小先生が最近購入した手紙を見せて貰ふ。手紙といふのは、もちろん手紙のことで、昔の有名人たちの手紙だ。書家の人たちのものは勿論、堂本印象や福田平八郎、小磯良平などの画家、江國滋などの作家、あとは、私の全く聞いたことのない人のものも多く含まれてゐた。いや、非常に興味深かつた。

 書家の人たちのものは、まァ、上手でも当たり前か、といふ気もするが、画家の人たちもみな、良い字を書く。堂本印象なんて、ビックリするぐらい上手い。やうな気がする。まづ、紙自体がいいし、そこに、当然のやうに毛筆で書かれてゐる。手紙自体が、ひとつの鑑賞に堪へうる作品のやうである。といふか、書の世界では、昔から手紙はひとつの作品ジャンルとして認められてゐるのだから、これらも作品なのだ。だから、高値で(?)売買されたりもする。書家の人たちの中には、手紙は納得がいくまで書き直す、といふ人もゐて、その話を聞いた時は「それはやりすぎでは」と思つたものだが、かういふのを見ると、それも仕方ないか、と思へる。だつて、作品として売買されてしまうのだから。そして、みんなに色々と勝手な批評を加へられる。恐ろしい世界だ。

 このやうな手紙を見せられると、やはりこれはひとつの立派な文化であり、守つていかねばならない、と思ふ。黒人たちが日常生活で歌ひ踊るやうに、我々も日常生活で詠ひ書かねばならない、と。ブルース・リーも言つてゐた。自らのルーツを極め、創造をすることこそ、自分へと至る道だと。………うーん、とはいへ、手紙を書くことなんてないけどねー、日常生活で。ま、意識次第なんでせうが。

小川顕太郎 Original: 2004-Feb-1;