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 Diary 2004・2月29日(SUN.)

嵐が丘

 家の中を片付けてゐたら、大量にビデオが出てきた。昔、テレビで放送された映画を録画したものだ。いつか観やうと考へてゐたものの、ほとんどが未見である。そんなものの存在は半ば忘れかけてゐたので、このまま無かつた事にして捨ててしまおうかとも思つたのだが、録画された映画の題名を観ると、どれもこれも観たいものばかりで、とてもそんな事はできない。『ろくでなし稼業』『秦・始皇帝』『リトアニア追憶への旅』『マジッククリスチャン』『告白的女優論』…。よく考へたら、自分の観たいものばかりを録つてゐるはずなので、さう思ふのも当たり前なのであつた。で、その中から早速、ブニュエルの『嵐が丘』を観ることにした。これは吉田喜重の『嵐が丘』とセットで録画してあつたやつで、とりあへずブニュエルの方だけ観ることにしたのだ。

 この作品は、ブニュエルのメキシコ時代の作品で、故に完全に娯楽作品として作られてゐる。エミリー・ブロンテの原作の精神を尊重しながら翻案した、みたいな説明が最初にあるのだが、舞台はメキシコ(?)に、登場人物はキャシーがカトリーナに、ヒースクリーフがアレハンドロに名前が変へられてゐる。話も、ヒースクリーフといふかアレハンドロが嵐が丘に帰つてきて、カトリーナが死ぬまでに限定され、ラストは大幅に変更されてゐるのだ。しかしこれは、あの濃密な話を約 1 時間半の娯楽作品に仕立てるためには、許容される変更ではないかと思はれた。実際私は、冒頭からいきなりブニュエル的な世界が展開するのを始め、無駄を省きまくつた早いテンポ、くさいながらも熱演をする役者陣、緊張感と陰惨さが支配する話なのに何故かカラリと晴れたやうな雰囲気、と、かなり楽しめたのであつた。

 が、ブロンテの『嵐が丘』 を生涯の愛読書のひとつと公言するトモコは、なにかと不満があつたやうだ。もちろんトモコも、映画と原作は別物だと考へてゐるし、ブニュエルは好きな監督なのだけれど、やはり色々と引つ掛かるやうなのだ。「キャシーがねェ……」。いや、カトリーナなんですけど。まァ、『嵐が丘』は原作が凄いからね。映画化はなかなか難しいのかもしれない。とはいへ、やはり人気がある作品なのか、何回か映画化されてゐるやうで、他に有名なのはウイリアム・ワイラーの奴か。でもこれも、評判では凄く下らないといふ話だ。ふむ。次は、吉田喜重のを観てみるか。

 ところで『嵐が丘』と言へば、私とトモコの頭にはある曲がパッと鳴り渡る。それはケイト・ブッシュのデビュー曲『嵐が丘』で、あれは素晴らしい曲なのだが、ケイト・ブッシュの甲高い声がズウッと頭の中で鳴り響いてゐるのは、なかなかに大変なものでもあるのであつた。

 うーん、ヒースクリーフ。

小川顕太郎 Original: 2004-Mar-2;
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