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 Diary 2003・3月29日(SAT.)

無駄な人生

 クニトモさん来店。「ここに来るまでタクシーに乗つてきたんですけど、その運転手さんに『こんな時間から河原町かいな、ええなあ、若い人は。をつちやんもな、若い時は楽しかつた、あの頃は恋人もをらんかつたけど、恋人のゐないもんは、ゐないもん同士で集まつてな、それがまた楽しかつた。たまに恋人ゐる奴がをるとな、そいつに、恋人紹介せえ、と皆で言つてな、毎回そればつかり言つてな、ハッハッハ! いやー、あの頃は楽しかつた。今はあかんけどな。だから、若い時は時間を無駄にしたらあかんで、悔いのない人生を過ごしや』って、言はれたんです。でも、そんなこと言はれてもねえ。悔いのない人生って、何なんでせうか?」

 確かにねえ、そんなの後になつてみないと分からないよねえ。かう生きれば、それが悔いのない人生、といふマニュアルがある訳ぢやあないし。

「私は、休みの日に布団にくるまつてゴロゴロしてゐるのが好きなんですけど、やはりそんなのは、後からみたら人生を無駄に使つてゐたと思ふんですかねえ」

 ううん、こればつかりは、何とも言へないなあ。なんかやたら精力的に活動してゐても、端から見たら単なる人生の浪費、っていふ人もゐるからねえ。

「これは性格の問題なんぢやないかしら」とトモコ。「何をやつても決して後悔しない人もゐるし、他人からみたら素敵な人生なのに、後悔ばつかりしてゐる人もゐる。」

 さういへば、ニーチェの永劫回帰の肯定哲学も、もし今この瞬間が再び回帰して来ても、再び生きたい! と思へるやうに生きやう、といふ事だもんなあ、滅茶苦茶簡単に考へれば。そのタクシーの運転手は、ツァラトゥストラだつたのかも知れないねえ。でも、人生を受け取るのは人間の頭なんだし、考へ方ひとつ、気持ちの持ち方ひとつで人生が変はる、といふのは本当だと思ふよ。

「さうですねえ…。結局、人生といふのは、寝て、起きて、何か食べて、他人と無駄話をする、に尽きますかね」

 さうさう。だから、ね、オパールのやうな場所で無駄話をすることこそ、人生の有効な使い方なんです。

 ま、といふことで。

小川顕太郎 Original:2003-Mar-30;