Diary 2003・2月26日(WED.)
些細な疑問
雑誌「芸術新潮」2 月号の特集「バロック王国ニッポン」の中で、この特集は小野一郎・山口由美の二人が対談しながら日本のバロック物件を紹介するといふものなのだけれど、以下のやうな会話があつた。まづ、小野一郎が茶の湯の始まりはカトリックのミサかもしれないという説を紹介して、
- 山口
- 「(略)…でも、そんな大胆な説、誰が唱えての?」
- 小野
- 「知り合いの新聞記者からそんなことを考えている学者がいるって聞いたんだけどさ。根拠のないことはなかなか公言できないんだろうね。…(略)」
私は、これを読んでちよつとビックリしてしまつた。茶の湯の始まりはカトリックのミサを模したものである、といふ説は、結構有名なものぢやないのか? 少なくとも私は、かなり前からその説は知つてゐた。はつきりといつからといふのは覚えてゐない。なんとなく頭に入つてきてゐたものだ。しかし、それではあやふや過ぎるので、最近私が読んだ本の中で、その説が紹介されてゐるものをあげると、『国民の芸術』田中英道著(産経新聞社)がある。また、その『国民の芸術』にも書いてあるが、茶の湯の始まりがカトリックのミサを模したものであるといふ説は、『キリシタンと茶道』西村貞(全国書房・1948 年)や『お茶とミサ―東と西の「一期一会」』ピーター・ミルワード(PHP 研究所・1995 年)などにも紹介されてゐる。それに何より、これも記憶があやふやで申し訳ないのだが、何ヶ月か前に何かの雑誌(たぶん「文藝春秋」?)で、裏千家の家元自身が、茶の湯はミサと密接な関係がある、と述べていた。はずだ。今更驚くやうな説とは思へないのだが。
……ま、別にどうでもいい疑問ですね。私だつてね、気にしてゐるわけではないんですよ。ただ、書くことがなかつたから、書いたまでで。ぢや、さういふわけで。
小川顕太郎 Original: 2003;