シティ・オブ・ゴッド
みなみ会館に映画『シティ・オブ・ゴッド』を観にいく。今度はひとりで行つたので、上映時間にも余裕で間に合ひ、落ち着いて鑑賞できた。やはり、映画の冒頭は大切だ。それは、小説において第一行目が最も大切なのと同じやうに、重要だ。たとへ一分でも遅れたら、その映画は出直してきて改めて観るべきだと、深く確信し、昨日はあのまま観ないで良かつたと、心底から思つたのであつた。
さてこの映画は、ブラジルのスラムでのギャングたちの抗争を描いたもので、事実に基づいてゐるといふ。まあ、『仁義なき戦い』みたいなもんだらう。ギャングたち、と言つても、アメリカにおけるギャングと同様、みんな子供なので、『カラーズ』や『ニュージャックシティ』などアメリカのギャングものを連想させるし、邦画においては、何と言つても『ガキ帝国』を彷彿とさせる。また、銃を使つた抗争があまりに激しいので、『スカーフェイス』などのマフィアものも思ひ浮かべたし、映画の構成がサーガ形式になつてゐることから、これは小説だが、中上の路地の物語群も強く想起された。要するに、古くて新しい物語。全てが既知のやうな、彼らのことをよく知つてゐると錯覚するやうな、デジャブに溢れた物語。
このやうな物語を、どのやうに撮るかが、映画制作者の真価が問はれる所だらう。この映画の監督は、フェルナンド・メイレレスといふ人で、主にテレビ番組や、コマーシャル・フィルムを作つてきた人。それ故か、いま流行りの最新映像表現(?)が随所に使はれてゐる。CGこそ使つてゐないが MTV 出身のハリウッドの監督がやりさうな、不自然な早送りやパンやカットアップの多用、要は映像がガチャガチャと動き廻るやつだ。この映画を絶賛してゐるひとたちは、たいていこの映像表現を褒めてゐる。このやうに重い題材をポップな映像表現で見事に撮つた、と。確かに、それはさうかもしれない。が、個人的には、若干の疑義が残る。別に不謹慎だとか、そのやうな事が言ひたい訳ではないが、純粋に映画の効果を考へた時に、このやうな映像表現はどうなのか? と。
私が考へるに、このやうな映像表現は、映画を軽くする。軽くなつて効果をあげる映画もあるが(『チャーリーズエンジェル フルスロットル』など)、この映画の場合はさうではないのではないか。非常によく出来たエンタテインメント作品として、お誂へ向きの消費物となつてしまつてゐるやうな気がする。そんなことで良いのか。観客の頭に、心臓に、銃弾を撃ち込むべきではないのか。私は、いささかの欲求不満に身を焦がして、スクリーンに見入つてゐたのであつた。
とはいへ、役者たちはみな素晴らしい! ほとんどの役者を素人から、つまり実際のストリートから採用したといふだけあつて、みんな凄くいい面構へをしてゐる。彼・彼女らを観るだけで、陶然とした気分になる。彼・彼女らに会へるといふだけで、何度もスクリーンに通ひたくなる感じだ。となれば、映画は多少軽い方がいいかな?
『シティ・オブ・ゴッド』、なんにせよ必見です。
小川顕太郎 Original:2003-Jul-3;- 関連記事
- レヴュー:2003・8月8日
「シティ・オブ・ゴッド」(BABA)