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 Diary 2002・9月4日(WED.)

アダムス・ファミリー 2

 ビデオで『アダムス・ファミリー 2』を観る。私があるとき映画『MIB』に感心し、ババさんに「いやー、この監督のバリー・ソネンフェルドっていう人は、なかなかのもんかもしれないですねー」と言うと、ババさんはすかさず「そうなんですよ! ソネンフェルドはいいんですよ! で、ソネンフェルドと言えば、やはり『ゲット・ショーティー』と『アダムス・ファミリー 2』です。『ワイルド・ワイルド・ウエスト』はダメです」と答えたので、そのことを牢記していた私は、ツタヤのビデオ 100 円均一の日に、『アダムス・ファミリー 2』を借りたのだ。で、どうだったのか。かーなり、良い作品だった。

 アダムス一家は、ゴス一家である。「ゴス」とは「ゴシック」の事だが、簡単に言えば「アメリカでゴシック趣味に染まっている人」のことだ。さらに詳しく説明すると、「アメリカで、アメリカの理想とするものの反対物を理想とする人」の事である。そう、「ゴシック」は「アメリカの理想」の反対物のことなのだ。

 アメリカの理想は、金髪碧眼に白い肌、並びの良い歯、前向き(ネアカ)で健康的で、フランクなスポーツマン、といった所だが、普通の人達はこの理想像を目指して、髪の毛を金色に染め、歯を矯正し、つとめて明るくフランクに振る舞うように努力して、スポーツに精を出す。アメリカの学校でキングと言われるのはスポーツマンの男の子だし、クイーンと言われるのはチアリーダーである。それに対して、そういった価値観に真っ向から対立する人達がいる。彼・彼女らは髪の毛を真っ黒に染め、黒い服を好んで着て、他人と積極的に交わることをせず、内向的で、スポーツを軽侮して、本を読んだり音楽を聴いたり映画を観たりする。彼・彼女らは「ゴス」と呼ばれ、学校内ではマイノリティーで、虐められる立場にある。女優のウノナ・ライダーがゴスだったのは有名な話だ。アダムス一家は、こういった「ゴス」を体現した一家なのだ。

『アダムス・ファミリー 1』では、主にアダムス一家のみが描かれるので、半ばアメリカ的価値観に侵されているとはいえ、まだまだ日本人である我々にとっては、その批判精神が少々分かりにくかったかもしれない。が、この『アダムス・ファミリー 2』では、一般のアメリカ社会との対比が鮮烈に描かれている。すなわち、アダムス家の子供達はサマーキャンプ! に行かされ、アダムス家には、一般アメリカ人の価値観を(ある意味)極端に体現したビッチが、アダムス家の財産を狙って入り込むのだ。そこで悉く示される対比は、かなりの爆笑を誘う。いかにもババさん好みの映画だった。もちろん、若き日に多かれ少なかれ「ゴス」だったトモコと私も、じゅうぶん楽しめた。

 こう書くと、「ゴス」に関係のなかった人間は楽しめないのか? という疑問が出るかもしれないが、そんな事はない。いまや「アメリカの理想」は、「グローバリズム」という形で世界を席巻中である。「911」以降、アメリカのやり方に多少でも疑問・不満を持っている人であれば、必ず楽しむことが出来ると思う。さらに、学ぶことも多いだろう。「911」の一周年を前にして、みなにお薦め。ちなみに、これはコメディ映画です。

小川顕太郎 Original:2002-Sep-6;