文化伝搬の経路
イチモトくん来店。「ちょっと早いですけど」と言って、5 周年のお祝いの花束をくれる。おお! 有り難うございます。それにしても、イチモトくんが花束を持ってくるなんて、なんかイメージが違うね。
「なにを言ってるんですか! ボクは花を買うのと紅茶を淹れるのが趣味なんですよ。」
ええー! そ、そうだったのか。私はてっきり、イチモトくんの趣味はソウルミュージックを聴くこととテキーラを飲んで泥酔することかと思っていた。これはどうも、認識違いですいませんでした。
ババさん来店。ちょっとネタばれになるから、まだ観ていない人は以下は飛ばしてほしいのだけれど、タケシの『Dolls』には、あるアイドルのファンの男の子が、事故で顔を潰して引退したそのアイドルに会いに行くために、(アイドルは自分の潰れた顔をファンに見られたくないから)目を潰す、という話がある。これに関してババさんは「あれは『春琴物語』ですよ」と言ったのだが、私は「ああ、そうですよね、谷崎の『春琴抄』ですよね」と言って、軽く流してしまった。『春琴物語』は『春琴抄』の映画化。だからそれで簡単に事をすましてしまったのだが、よく考えれば、私はババさんの言おうとしていた事を取り逃がしていた。
私も、『Dolls』のその話を観た時に、ああ、谷崎か、と思い、ちょっとイヤな感じがした。私は谷崎は大好きであるし、『春琴抄』は谷崎の作品の中でもベスト 3 に入ると思っている。それが、なぜ『Dolls』でイヤな感じがしたのかというと、この『春琴抄』のテーマは、中上健次に受け継がれており(『重力の都』)、私に谷崎潤一郎―中上健次―北野武、という系譜の連想を呼び起こしたからだ。私は別に中上も嫌いな訳ではないが、谷崎ー中上という系譜は、批評空間系のエッジな人々(今やもうズレつつあるけれど)がよく言っていたもので、個人的にはもうこの系譜は無効だろうと考えているからだ。それなのに、そんな系譜に連なりたいのかタケシ! ダメじゃないか、と思ったのだ。
ところで、ババさんが言ったのは『春琴抄』ではなくて、映画の『春琴物語』。同じ様なもんじゃないかと思ったのだが、さにあらず。もしタケシが『春琴物語』から同テーマを引いてきているのなら、谷崎―中上、という系譜には無縁という事になる。少なくとも、無縁の振りができる。実際、『Dolls』は、ババさんによれば日本映画へのオマージュに満ちた映画なのだ。ということは、やはり、『春琴抄』ではなく、『春琴物語』から、という事になる。
なんで私がこのような些細な事にこだわっているか、分からない人もいるだろう。いや、まったくその通り。ごく個人的な、下らないこだわりです。気にしないでください。でも、文化における系譜の問題は、案外大切であると、私は考えています。
本日も 5 周年パーティのための練習。間に合うのか?
小川顕太郎 Original:2002-Oct-27;