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 Diary 2002・6月15日(SAT.)

『吾輩は猫である』再読

 オイシンがオパールで学んだことは無数にあるが、身に付いたことは真に少ない。その少ないことのひとつに、読書の習慣がある。オパールに来た当初、大学生時代には雑誌以外の本は読んだことがなかったと、豪語して少しも恥じる様子のなかったオイシンだが、今やごく自然に本を読むようになっている。普通は、学生を卒業すれば読書の習慣は失われる事が多々あるのに、逆に身に付いてしまったのだから、これは奇跡的なことだ。この事だけでも、オイシンはオパールに無限の感謝を捧げるべきだと思うが、まあ、それはそれとして、何故かオイシンは夏目漱石にはまっている。特に『吾輩は猫である』を読んで抱腹絶倒し、素晴らしい! と叫んでいる。確かに『吾輩は猫である』は素晴らしい作品だが、それをオイシンが読んで面白がれるまでになったとは……感無量だ。ほんとーに、オイシンはオパールに無際限の財産投与をしてしかるべきだと思う。強く思う。

 ところで夏目漱石だが、私は小学生の頃に愛読した。とはいっても、小学生のことなので、どこまで理解したかは分からない。その証拠(?)に、『吾輩は猫である』に関しては、始まりと終わり以外はほとんど覚えていない。もちろん、この作品は筋があってなきがごとし作品なので、覚えていないのも当然なのかもしれないが、それにしても何も思い出せない。小学生の時はあれほど好きだったのに。

 そんなこんなで、『吾輩は猫である』は、いずれ再読せねばならないと思い続けていた作品だったこともあり、この機会に再読してみることにしたのであった。

 ……再読してみて、衝撃的な事が分かった。私はよく、誰に聞いたのかどこで読んだのかは定かではないが確かこんな事があった、と言って、嘘か本当か分からない話をするのだが、その定番ともいえる話のいくつかが、この『吾輩は猫である』の中にあったのだ! それも迷亭君のする話ばっかり! 蛇鍋の話やいつまでも払い続ける分割払いの話などだ。『吾輩は猫である』を読んだことがない人のために説明すると、迷亭君は、いつも本当か嘘か分からないような話ばっかりをして、人を煙に巻いてばかりいる、登場人物である。もしかして、私は『吾輩は猫である』に絶大な影響を受けているのではないだろうか。今現在、「日記」と称して嘘か真か分からない駄法螺のような話を毎日書き綴っているのも、ひとえに『吾輩は猫である』のせいではないのか。

 うーん、人間何に影響を受けているのか分かったもんじゃないな。

小川顕太郎 Original:2002-Jun-16;