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 Diary 2001・10月21日(SUN.)

よいカフェ
わるいカフェ

 雑誌「サイゾー」が「よいカフェ わるいカフェ」という小特集を組んでいた。内容そのものは、量も少なく、質も薄い、といういささか羊頭狗肉のものだったのだけれど、そのうちどこかがやるだろうと思われていたカフェ文化(?)批判を、いちはやくやったのはさすがというべきか。

 それにしても、こういうメジャー誌でカフェ文化批判が出始めたという事は、そろそろカフェ文化も曲がり角にきたのかもしれない。まあ、批判が出たために、その批判自身によって崩れるという事はないだろうけれど、もうカフェ文化そのものが一種の飽和点に達していて、内部から自壊、という事態ならあり得るだろう。

「サイゾー」の批判にあるようなこと、例えば、カフェは大人になりきれない甘ったれが生ぬるい人間関係を求めて集まる場だとか、自分の事をイケてると勘違いした人々がナルシズムに浸る、あるいは自己顕示に集まる場だとか、素人がたいした努力もせずに未熟なままの自分を肯定して始められる商売だとか、これらの事がサブカルチャー・カウンターカルチャーに繋がるという勘違いが蔓延しているとか、といったような事は確かに一面の真実を射ている。が、それらの事は、実はカフェ文化圏でも意識的な人々の間では常に言われてきた事だし、勢いのある時は、かえってこれらの一見欠点にみえる事が、長所になっていたのだ。しかし、なんだってそうなのだが、飽和点に達すると、今まで気にならなかった事が、欠点として気になってくる。これは仕方のない事だ。物事とはそうしたものだ。ここで、どうやって踏ん張るかが問われることになる。さて、どうする?

 まあーねー、こういった大きな問題を考えつつ、小さな、というか身近な問題、つまり日々の商売の事を考えながら、毎日を過ごしている訳です。難しいですねー。うーん、最近の私は、あらゆる才能のなかで、金儲けの才能が最も大切なんじゃないかと考えています。もうちょっと正確にいうと、きちんと金を儲けて、そのお金で自分の人生をデザインできること。自立・自律する、という事ですね。なんか吉本隆明みたいですがー。

 やっぱ金儲けは才能ですよ。その大事な才能が自分にあるのか。なんか、なさそうでつらい…。

小川顕太郎 Original:2001-Oct-23;