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 Diary 2001・11月15日(THU.)

休みの日

 休みの日だというのに、というか休みの日だからこそ、遅くまで寝てしまい、起きたら夕方だった。慌てて掃除・洗濯をする。

 ちょっと用事があったので、閉まる前にと急いでブーツィーズレコードにまで行き、ヒラノさんと喋る。ついでに CD と雑誌を購入。そのまま三条のブックオフに行き、持ってきた本を売る。掃除のついでにどうしても邪魔になったので、思わず持ってきたのだ。東浩紀や福田和也など 12 冊。600 円で売れる。

 ブックファーストに行き、副島隆彦の新刊を探すがみつからず。まだ出ていないのか。以前 BBS で vb さんが、「と学会」の本で山本弘が小林よしのりの『戦争論』を批判している、と書いていたのを思い出し、その本を立ち読みする。予想通りの内容。小林よしのりの歴史記述が間違いと矛盾に満ちている、と実例をあげながら述べたもの。しかし私見によれば、この山本弘の批判は的を射ていない。『戦争論』の最も重要な点は、大東亜戦争を肯定的に見る見方を提示した事だ。(もちろん、そういった見方は今までもいくらでもあったが、そんな見方を知らない層に広く大きくアピールした、という所が重要)山本弘のようなやり方では、この重要さは揺らがない。

 例えば、小林よしのりは、日本があの戦争を始めるまで、欧米の植民地となっていたアジア諸国は欧米に勝てるとは思えず、欧米諸国に家畜扱いされ「家畜慣れ」していた。が、それをうち破ったのが日本のあの戦争だ、と書いている。つまり、あの戦争は欧米諸国の植民地政策に対する、アジアからの解放闘争だった、という事だ。これに対して、実は日本が戦争を始める前から、アジア各地で独立運動は起こっていた、アジアの人々は「家畜慣れ」などしていなかった、と山本弘は批判する。

 確かに、「家畜慣れ」という言葉はえげつないし、独立運動は、日本が戦争を始める前からあったのかもしれない。が、それでもなお、日本があの戦争を始めて、次々と植民地を解放し、現地の人々に武器を与え、訓練して、それが戦後の独立に繋がった、という大きな事実は揺るがないと思われる。少なくとも、そういう見方は可能だし、そういう見方を提示する事には意義がある。この大きな事実、大きな見方を揺るがすには、山本弘のやり方は、やや揚げ足取りの感があって弱い。他の箇所に対する批判ついても同様。

 事実を事実としてキチンと確定するのは大切な事だし、そういった批判はジャンジャンするべきだと思うが、そういった批判が、大きな事実を揺るがせられるかどうかは、また別問題だ。どうも山本弘は、『戦争論』の記述は間違いだらけだから、『戦争論』の主張も間違いだ、と言いたくて仕方がないようだ。中立を装って敢えてそうは書いていないが、素直に読めば、そう読める。「やはりな」と私は嘆息したのでした。

 雑誌「bmr」を読むと、マイケルの新譜が絶賛してある。そうかー、うーん、私はちょっとイマイチだったけれどねー、うーん、勿論けなす気はないんだけれど…とりあえず、もうちょっと聴きこんでみますか。

小川顕太郎 Original:2001-Nov-16;