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 Diary 2001・2月12日(MON.)

リッダ闘争

 コータローくんが、左手にギプスをして来店。自転車に乗っていて転けたそうだ。コータローくんはマウンテンバイクに乗っている。「最近オパールまわりで自転車が流行っているようですが、くれぐれも怪我には注意、ということで…」と、いうことで。

 クラタニくん来店。たまたま(?)店にあった『まんがサガワさん』を読み、激しく驚愕する。「は、反省してませんねえ〜、この人」。そう、その通りだ、それは正しい感想だよ、クラタニくん。

 その『まんがサガワさん』を、クニトモさんに貸す。ババさんも、「クニトモさんなら、楽しく読めるでしょう」と言う。「どういうことですか!?」と、クニトモさん。うん、確かに私もそんな気がする。いや、別にクニトモさんが鬼畜系だとかそういう意味ではなく、タフというか、そのなんというか…。まあ、読んでみてください。さまざまなことを考えさせられる本です。ものごとを根本から考えるには、タフな精神が必要だ、ということを再認識させられました。

 はっさくさんから、家で焼いてきたブラウニーをいただく。ワダくんが大喜び。「ぼくはケーキと名の付くものはなんでも大好きだあー」。なるほど。


 昨日に引き続き、文藝別冊の『赤軍』を読んでいたら、日本赤軍の吉村和江が、非常に興味深いことを言っていた。それはつまりテルアビブ空港銃乱射事件=リッダ闘争についてである。

 この事件は、赤軍に対してどうしても納得できないものとして、ずっと私の前にあった。重信房子も、この事件はテロではない、イスラエルとパレスチナの戦争行為としてあるものだ、我々は PFLP の指揮下にいたので、その指事に従ってこの作戦を成功させた。だからこそ、我々はアラブでは英雄扱いなのだ、と主張していたが、これではやはり納得できない。例え戦争行為だとしても、いくら憎いイスラエル人だからといって非戦闘員を空港で無差別に殺しまくるのは、やはりテロと呼ばれても仕方がないのではないか? と思うからだ。

 それが、吉村和江の話によると、まったく事情が違う。まず、赤軍は非戦闘員を無差別になど殺していない、という。赤軍は、空港にいた警備兵に向けて攻撃をしたのであって、それに吃驚したイスラエル兵がむちゃくちゃに反撃してきて、空港内にいた関係のない人々を巻き添えにして殺した、というのだ。そればかりか、赤軍メンバーの安田安之は、誰かの投げた手榴弾が関係のない人々の所に転がっていったのを、その人達を守るためにその手榴弾の上に覆いかぶさり、爆死した、というのだ。

 このことは、赤軍側はみな主張しているし、アラブでもどうやら常識らしいけれど、イスラエル=アメリカ、さらに西側諸国は、警備兵が無辜の人々をあやまって殺した事実を隠蔽するためと、赤軍らを貶めるために、事実と違った報道を続けてきた、というのだ。

 なるほど! そうだったのか。それならかなり納得がいく。もちろん、赤軍側の言い分が 100 %正しいとは限らないが、こういうことは十分ありえる。我々は常に情報操作されているからだ。まあ、そこまで赤軍に興味のない人ならば、みんなリッダ闘争に対して、私と同様のイメージを持っているんじゃないか?

 もうひとつ付け加えるならば、いまやパレスチナの問題は誰でも語るけれども、そうなったのは実はこのリッダ闘争以降だと、松田政男は言う。つまりそれまでは、ヨーロッパの知識人達は、ユダヤ人に負い目があるのでパレスチナ問題を避けていたらしいのだ。それをああいう形で全世界にアピールし、以降パレスチナ問題に世界中の目が向いたのなら、あのリッダ闘争は凄く有意義な闘争であった、ということになる。赤軍がアラブ世界で英雄になるわけだ。

 信じるにせよ信じないにせよ、これは知っておくべきことだ、と私は思います。

小川顕太郎 Original:2001-Feb-14;