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 Diary 2001・12月9日(SUN.)

漢文

 書道をやっていると、ふつふつと漢文に対する興味が沸いてきます。漢文をマスターすれば、豊饒なるシナ文化の世界に参入できるのでは…と。ところで、みなさんは現在の中国語と漢文が何の関係もない、という事をご存じですか? 全く関係ないのです。それは古文でさえないのです。私はそんな事は知りませんでした。岡田英弘の「この厄介な国、中国」(WAC BUNKO)を読むまでは。

 そもそも漢文は、様々な言語を喋る民族があまりにも多いシナの地において、公文書をやりとりするために作られた人工的な言葉だ。エスペラント語みたいなものか。とにかく秦の始皇帝がシナを統一し、(公文書用の)共通の書き言葉として漢文を定めた(漢字の統一・小篆)。そして、この人工的な言葉を使って公文書を作る能力があるものが、官僚となった。この官僚を選ぶシステムが漢の時代に創られた「科挙」。だから「科挙」というのは、漢文で書かれた古典をひたすら丸暗記するだけのものだったんだね。つまり漢文を駆使できるのは官僚たちだけであり(科挙に落ちた者も、勉強した訳だから当然使えるが)、一般の庶民達にはチンプンカンプン。というか、まったく関係のないものだったのだ。

 さらに! 漢民族は三国時代の動乱で滅んでしまう。あとの随や唐以降のシナ人というのは、北方から移住してきた言葉も違う他の民族だったので、彼らにとっては、漢文はなおさら関係がない。が、それでも、あの広大なシナの地を治めるには、秦・漢時代の皇帝システムや、漢文という人工言語を使うしかなかったので、これらを継続して使い続ける事となった。このように、漢文とは、官僚達の間だけで使われる特殊な言語として、生き残り続けたのであった。もちろん、シナに住むほとんどの人にはなんの関係もないものとして。

 そーして、またさらに! 現在ではこの漢文の位置を、北京語をもとにした「普通話(プートンホワ)」が占めているので、さらにいっそう、漢文はシナ人達から縁遠いものとなってしまっているという。ほんとうに、現在の中国で漢文を読み書きできる人など、わずかな人数、ほんの一握りの知識人のみ、という事らしい。漢文こそシナ文化の中心、などという考えは、かなーり的はずれなもののようだ。

 岡田英弘は、日本人は漢籍を通じて幻想の中国・中国人を創ってしまっているので、現実の中国や中国人の姿が見えていない(だから外交を誤り続けている)、と言う。……肝に銘じておきます。

小川顕太郎 Original:2001-Dec-10;