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 Diary 2001・4月7日(SAT.)

石原慎太郎研究

 店があんまり暇なので、隣の本屋になにか雑誌を買いに行く。あまり面白そうなものはなかったのだが、「論座」が石原慎太郎の特集をやっていたので、まあこれなら、と思い、購入する。店に帰って早速読む。

 私は石原慎太郎についてほとんど何も知らない。『太陽の季節』は読んだが、あまり面白くなかった(それでも、同名短編集所収の『処刑の部屋』は面白かった)。それから三島由紀夫がらみで対談なんかを読んだことがあるが、どうしたって三島の方に分があると思ってしまう。最近では福田和也がやたらと持ち上げているが、福田和也に持ち上げられてもなあ、という感じだ。

 かといって悪い印象があるのかといえば、そうでもない。アメリカから「ウルトラファシスト」と罵倒されるあたり、かなり好感が持てる。ルックスも弟の裕次郎よりずっと良いと思うし、全身からオーラを発していて、一度近くで見てみたいと思わせる。

 とはいうものの、石原都政がどうなっているのか? なんぞということには一向に興味がなく、いや、興味がないわけではないんだけれど、そこまで気がまわらず、どのようなことになっているのか全く知らなかった。確か、石原慎太郎が東京の都知事になった時には、左翼陣営がいっせいに反発して、これで日本はファシズム化する! と警告を発しまくっていたはずだ。そのような文章は数多く読んだ。で、実際どうなっているのかというと、これがなかなかうまくいっているようではないですか。自分も含めて職員の給料をカットしたり、自動車の排気ガス規制をしたり、横田基地返還を唱えたり。2 年目の予算も、大幅な赤字削減を達成したようだし。そういえば、最近あのヒステリックな石原批判も聞かなくなった。ふーん、そのような状況なのですか。

 石原慎太郎批判のクリシェに、大衆迎合主義という意味でのポピュリズム、というのがある。私はこれがいまひとつ分からなくて、要するに石原慎太郎が人気者なのが気に食わない奴の僻みだろう、ぐらいに思っていたのだが、この特集を読んでいて、卒然と分かったような気がした。

 石原慎太郎という人は、感性がすごく大衆的なのだ。例えば教育勅語が嫌いで、天皇のことを現人神と規定するのはバカじゃないかと軽侮して、戦後いちはやく価値紊乱者として登場するあたり。そういう「ごくあたりまえ」の感覚に反発して逆さまに走っていった三島由紀夫とは正反対だ。そういった所が、少々面白みに欠けるといえば言える。でもまあ、政治家なんだし、仕方ないか。私は腹切った三島が大好きですけどね。

 タケダくん来店。ヴィヲロンは花見帰りのお客さんが大挙して押し寄せ、とても忙しかったそうだ。そうか、みんなお花見に行っているので、オパールはこんなに暇なのですね。花見帰りのお客さんに騒がれるよりは、暇な方がいいよ。と、負け惜しみを言ってみたりする。あの葡萄は酸っぱいはずさ。

小川顕太郎 Original:2001-Apr-8;