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 Diary 2000・9月10日(SUN.)

人々の行き先

 ライターのマキさんが来店して言うには、現在製作中の某雑誌のカフェ別冊のために取材に廻っているのだけれど、どこもここも「関西ウォーカー」効果で大忙しで、その忙しい中を取材しなければならずはなはだ心苦しい、との事。なるほど。「関西ウォーカー」に載ったおかげで繁盛している店はかなりある、ということか。

 しかしそこで疑問なのだが、この 2 週間程に、「関西ウォーカー」を頼りに集中的にカフェを襲った大量の人々は、普段いったいどこに行っているのだろうか?

「それはその時々に『関西ウォーカー』で特集している店に行っているんですよ」とババさん。つまり、ラーメン屋特集をすればドーっとラーメン屋に向かい、食べ放題の店特集を行えば食べ放題の店が食い尽くされ、露天風呂特集を行えば露天風呂が人々で混み合う、といった具合なのだろうという事だ。まさに「浮動票」といった感じである。大衆社会の恐ろしさをまざまざと見せつけられた感じだ。


 ところで現在、私は大西巨人の最新短編集『二十一世紀前夜祭』(光文社)を読んでいるのだが、これがまた無類に面白い。その中に『現代の英雄』という一編がある。「太平洋戦争は、日本とどこの国との戦争だったのか。」という問いに対して、「僕は、まだ生まれてなかったから、知りません」と答えた若者に対する論評を、様々な人達が行い、それを主人公の大津太郎が通りすがりに立ち聞きする、といっただけの話である。

 大津太郎は、こういった問題は「戦争体験の風化」などにはほとんど(直接の)関係はなく、その若者の答えは「徹底的に誤謬であり、救いがたく不正不当である」と考える。そして、

そんな低能どもの上に未来があってたまるか。

 と思いながら、電車を降りる所で小説は終わっている。

 まさに、その通りだろうと私は思うし、そうでなくてはならないと、確信する。

小川顕太郎 Original:2000-Sep-12;