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 Diary 2000・12月15日(FRI.)

機会不平等

 斉藤貴男の『機会不平等』(文芸春秋)を読む。

 私が最初に斉藤貴男の本を読んだのは『カルト資本主義』(文芸春秋)だった。これはバブル崩壊後にオカルト的なものを経営に持ち込む企業が増えてきたことに対して警鐘を鳴らす本である。ここでいうオカルト的なものとは、自我を捨て、大いなるもの・崇高なものに同一化することによって、無意味に思える生に目的と充実感を与える考え方の事だ。これが経営に持ち込まれると、自分を捨て、会社のために一所懸命働くことによって自己実現を成し遂げ、幸せになり、人間としてのステージがあがる、という考え方になる。

 反近代・エコロジー的な味付けがしてあるのが特徴で、船井総研などに代表される。この本は面白かった。船井総研やソニーの超能力研究所など、私が以前から興味を抱いている所の事が書いてあったからだ。反オカルトに対する眼差しも共通している。

 次に読んだのは『プライバシークライシス』。これもなかなかの好著で、以前にレビューした事もある。住民基本台帳法の改正、ID カード携行義務の検討、マーケティングシステムの大規模化、小室哲哉の発言、などなどから、現在日本ですすんでいる国民総背番号制を幻視する。その多少強引な論理展開も魅力だった。反国民総背番号制に対する眼差しも共通している。

 つまり斉藤貴男は、私とかなりの部分、興味範囲がだぶるのだ。そしてその私にとって興味のある事柄を、色々詳しく調べ上げ、想像力を逞しくして、多少強引な論旨を展開する。私が愛読した所以である。

 それが『精神の瓦礫』(岩波書店)を読んだ時に、アレ? と思った。かなりダメ左翼っぽい部分が目立ったのだ。

 ダメ左翼っぽい所とはどんなところか。それはこうだ。世の中というのは不条理に満ちている。そしてその不条理を直していこうとするのが人間だが、不条理にも色々あって、直すべき不条理、直しようのない不条理、直すべきでない不条理などがある。この「直しようのない不条理」「直すべきでない不条理」を直そうとするのがダメ左翼だ。あるいは不条理にこのような区別を認めないのがダメ左翼といってもよい。「直しようのない・直すべきでない不条理」を、具体的には不平等などを、無理に直そうとすると、ユートピアを目指してデストピアに行ってしまうものだ。

 さて、この『機会不平等』だが、反グローバリズム・反優生学と、これまた私のツボをつきまくったテーマ設定。なのだが、かなり首を傾げざるを得ない内容だった。もともと強引な論理展開をする人で、そこが魅力でもあったのだが、これは強引すぎる。この世がある限り永遠に存続するであろう不条理をことさら取り上げて、優生学の復権だ! 階層社会の復権だ! と騒がれても、そうか? と思わざるを得ない。もちろん、優生学が復活する危険な兆候はある。しかし、この本での強引すぎる論理展開では、かえって説得性が薄れてしまうように思う。「エリート」と呼ばれる人達や、権力者に対する不信感・反感が強すぎて、鼻につく。つまりは斉藤貴男は、「左翼」だったのだ。そこが、私との別れ道か。

 アキラさん来店。吉田屋に寄ってきたらしいのだが、野宮真貴とニヤミスだったらしく、非常に残念がっていた。そういえば今日はメトロに野宮真貴が来ているのだった。アキラさんは当然メトロにも行ったのだが、あまりの人の多さに逃げ出して来たらしい。

 クラタニくん来店。「たこ焼き器、売れました!」との事。よかったではないか。「でもねえ、ノルマのために適当なことを言って騙すように売りつけてしまって、心が痛むんです」とショボンとする。頑張れクラタニくん。大人の世界とはそういったものだ。騙し、騙され、みんなで一所懸命殺しあって、立派な大人になりましょう!

小川顕太郎 Original:2000-Dec-16;