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 Diary 2000・12月12日(TUE.)

新・仁義なき戦い。

 大宮東映に『新・仁義なき戦い。』(坂本順治監督)を観に行く。なかなか面白かった。ババさんもレビューで書いていたように、これを深作の『仁義なき戦い』シリーズと較べるのは愚の骨頂というものだが、それでもついつい較べてしまうのも事実だ。勿論、あの傑作シリーズには遥か及ばないんだけれど、どういった所を意識し、継承しようとしたのか、を考えてみるのは面白い。

 例えば『仁義なき戦い』では、冒頭で広島に投下された原爆の写真が大写しになり、敗戦によってもたらされた価値観・生活・伝統の破壊が、仁義のない修羅の世界を産んだという事が暗示される。対して『新・仁義なき戦い。』では、冒頭に工場の煙突から出る煙・スモッグ発生を示す赤旗が写され、少年が「もう日本も終わりや」と呟く 1972 年の夏から始まる。敗戦から立ち直ろうとガムシャラに進めた高度経済成長政策が、結果として日本人のモラルを破壊し、仁義なき修羅の世界を産んだという事が暗示される。何故、仁義のない闘いを描くのか、という問題意識・認識が、ここでは継承されている。

 その他にも人物造形に、共通点がある。『仁義なき戦い』シリーズでの最重要人物は誰か、と言えば、まず金子信雄があがるだろう。金子信雄が演じるボスは、自らの保身と金のことばかり考えて、平気で子分に対する仁義を破る卑劣漢。もともと「仁義」には、親分に対する忠誠、というのが含まれるのだけれど、もし親分がとんでもない奴だったら…そこには血塗れの悲劇が待っている。この重要な役にあたるのが『新・仁義なき戦い。』では岸辺一徳。なかなかに好演。その他に、『仁義なき戦い』シリーズではいつも若い衆が血気にはやり、ことをややこしくするのだけれど、この役にあたるのが『新・仁義なき戦い。』ではムラジュン。ちょびっと好演。などなど。

 しかしながら主役級の二人、布袋と豊川のキャラがいまひとつ立っていず、故にラストはちょっと脱力。布袋の歌うテーマソングも痛い。是非ともシリーズ化して、次回は頑張って欲しい。

 あっ、大地義行さんは岸辺一徳の弟役でかなり好演。続編では是非とも見せ場を作って欲しい所だ。

 今日はオパールにオイシンのお父さんが来店していた。私は『新・仁義なき戦い。』を観ていたので会えなかったが、トモコとショウヘイくんは会った。岐阜に名物なんかないですよお、とか言う愚息と違い、お父さんは岐阜名物の「柿羊羹」を持ってきていて、我々はこれをいただいた。なんでもこの「柿羊羹」は、平民が入ることの許されない帝の御前に献上されていた代物らしく、つまり岐阜県民よりも偉いお菓子という事だ。有り難くいただく。

 帰り際にオイシンのお父さんが「息子を連れて帰ってもいいですか」と訊くので、トモコが「どうぞどうぞ、やっぱり故郷が一番ですよ。」と答えたら、「いや、そういう意味じゃなくて、今から一緒に宿に帰ってもいいかという意味なんですが…」と言われたそうだ。

 寒さのせいか 12 時をまわると、パッタリお客さんが来ない・居ない。アキラ 28 がひとりでポツンとカウンターに座っている。年末、です。

小川顕太郎 Original:2000-Dec-14;