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 Diary 2000・12月11日(MON.)

世にも美しい数式

 西部邁達が「日本国家の国柄と日本国民の国民性を蘇生させ定着させる」ためにやっている「思邦会」というのがあるのだけれど、その「思邦会」での講演記録を収めた書物『大いなる説得(日刊工業新聞社)を読む。その中で数学者の藤原正彦が面白いことを言っていた。

 優れた自然科学者になるには情緒、美しいものに感動する心が必要だ、というのだ。何故なら、例えば数学を例にとると、数学の研究というのは高い山の頂にある美しい花をとりにいくようなものだから、だ。まず頂上にある美しい花に感動することが出来なければ、頂上まで登っていく力が沸いてこないのだ。

 同じ様な事を別の方向からも述べていて、それが彼の講演の題「情操こそ教育の基本」に繋がるのだけれど、優れた数学者になるには頭が良いだけではダメで、同じくらい性格が良くなければダメだ、という。物事を諦めないで根気よくやり続ける能力だとか、悲観的にならない能力、柔軟な心、などがないとダメだ、というのだ。数学の世界では、よく神童と呼ばれる子供達が出るのだけれど、そういった子達は大人になると消えていく場合が多い。それは子供の頃から知的な訓練ばかりして情操教育が不十分なので、結局ものにならないということだろう。

 あの「フェルマの予想」にしても、ほんとは半分ぐらいの数学者が疑っていたのだけれど、日本人の「谷山・志村予想」というのが出て、これはこの予想が正しければ「フェルマの予想」も正しいというもので、この「谷山・志村予想」があまりにも美しかったことから、やっとみんな「フェルマの予想」の方も信じて真剣に解きにかかり、解けた、という事らしい。つまり美しさこそがモチベーション、あるいは基準となっているということだ。

 この藤原正彦の先輩で、20 代で世界的な数学者になった人がいるらしいのだが、その人は学生時代、あまりに美しい定理に出会って感激のあまり涙が止まらず、眠れなかったことがあるそうだ。凄い話だ。それにしても、あまりに美しい定理とはどのようなものなのか。とりあえず数学好きのショウヘイくんにきいてみる。

「ショウヘイくんは今までに、これは美しい! と思える数学の定理に会ったことがある?」

「ありますよ」ショウヘイくんは即座に答えた。「オイラーの定理です」と言って、やおら紙と鉛筆を取り出して、説明をしてくれる。私は数学が苦手なので、なんとなく分かったような分からないような気持ちでそれを聞く。その後、話は量子力学と相対性理論へと移っていって、なにがなんやら分からなくなる。要するに、今日はそれだけ暇だったという事だ。

 恐ろしく寒い。とうとう冬になった、という感じである。

小川顕太郎 Original:2000-Dec-13;