京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

HOME > diary > 00 > 0423
 Diary 2000・4月23日(SUN.)

人生の日曜日

 店に行き、ヒロキくんと開店準備をしてから、私は足りないものを買いに出かけた。買い物にいささか手間取ってから戻ってくると、まだ看板が出ていない。これはもしやと思い、エレベーターに乗って 6 階まで行くと、やはり電気系統のトラブルで営業が出来ない状態だった。

 しばらくするとヒロキくんが電話で呼んだタケダくんがやってきて、修理にかかる。私は別にやる事がないので、窓から向かいにある教会の庭で遊ぶ子供達の姿などをぼんやり見つめる。今日はとても天気の良い日で、窓の外には陽気と快楽と怠惰が溶けあって充満しているような感じだ。私はひたすら引き延ばされた時間の中をゆっくりと漂っている。

 この感じは知っている。何だろうとしばらく首をひねって、思い出した。高校時代に学校をさぼって近くの河原で転がっている時の感じ、あるいは予備校時代にこれまた予備校をさぼって三角公園などで座っている時の感じだ。その時に何を考え感じていたかは、さっぱり覚えていない。ただ、スタイル・カウンシルのライブ盤とクラッシュの『ロンドンコーリング』(中でも『レボリューションロック』)をウォークマンで繰り返し聞いていたことだけが記憶に残っている。

 北野武の映画を観ていて、同じような感じに突き当たる事がある。例えば『ソナチネ』の海岸のシーン。『菊次郎の夏』の帰り道でみんなでひたすら遊ぶシーン。これらのシーンでは「無償」という言葉がゴロンと投げ出されているようで圧倒される。そしてそんな気持ちを抱えたまま映画館の暗闇を出て、猥雑な雑踏の中に出ていく。同様に、応急措置をタケダくんがほどこしてくれたので、私はそんな気持ちを抱えたまま営業を始めた。

 営業を始めたものの、そんな私の気持ちをくみ取ってか、お客さんが来ない。もう友人といって差し支えないような常連さん達のみがやってくる。ヨシコちゃん、ヤマネくん、ベッチ、ロンちゃん、クニトモさん、などなどなど。なんとも気持ちのよい時間だった。

 夜に入れば、なんとなく通常の状態に戻った。そして日曜日は終わっていった。

小川顕太郎 Original:2000-Apr-24;