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 Diary 2000・4月7日(FRI.)

シュリ

 みなみ会館に『シュリ』を観に行く。ほぼ 100 %つまらないと予想される映画を観に行くのは苦痛で仕方がないのだが、観てもいないのに「つまらん下らん」と 10 回以上言ってしまったので、責任を取るためにしぶしぶ行ったのだ。で、感想は、などとわざわざ書くまでもない。予想通り、つまらなく、下らなかった。それ以上に書くこともないのだが、せっかく観に行ったのだから、少し思った事を述べる。

 まず疑問に思ったのは、本当にこの映画が日本でヒットしているのか? ということ。アクションシーンにしろストーリーにしろ、この程度のものは日本のテレビドラマでもゴロゴロしているのではないのか? そしてドラマツルギーの拙劣さ! これではただ単に三流の映画というだけではないか。実をいえば私は、この映画はハリウッド的な娯楽仕立ての陰に粗雑なイデオロギーを仕込んだ映画かと思い、批判的だったのだが、まずそもそも娯楽としても全然なっていないのだ。この映画を激賞している、例えばピーコなどは一体何をとちくるっているのだろうか。どこかから金でも貰っているのか。それとももうぼけたのか。少なくともハリウッドの一級の娯楽作品を数本でも観ている人間なら、こんな杜撰な作品に耐えられるわけないと思うのだが。

 ここで、この映画を観て「面白い!」と言った弟子オイシンのために、道場主・小形剣之信に代わって、私がいくつかこの映画の駄目な所を説明しよう。

 まず、冒頭に衝撃的な特訓シーンが出てくるが、このシーンの荒唐無稽さはまあいいとしても、これだけ感情を捨てるための非人間的な訓練を積んだ人間が、たった一年間付き合っただけの相手に惚れるなどということがあるわけがない。まるで小学生並みの発想だ。

 それだけでももうドラマツルギー的にガタガタだが、さらにこういった敵との愛憎ドラマではなんといっても敵を魅力的に描く事が必要だが、それが全くできていない。なるほど、「北では人民が飢えているのに南ではゲロを吐いていやがる」「飢えのために死んだ子供の肉を食らう親の気持ちが分かるか!」などと北の工作員に言わせて、敵側にも理がありますよといいたげだ。しかし、これらのセリフは白々しく響くだけ。なぜなら、こういった場合に絶対必要なこと、つまり資本主義に浮かれ騒ぐ南側のみっともなさを描くこと、がなされていないからだ。敵に理があると描く場合は味方側のみっともなさも描く、というドラマツルギーのイロハさえ分かっていない。こんな程度ではまともな娯楽作品なんて撮れなくて当たり前だろう。

 時間を損したと思わせる映画だった。

小川顕太郎 Original:2000-Apr-8;