ダブル・ジョパディー
映画が 1000 円均一の日なので、SY 松竹京映に『ダブル・ジョパディー』を観に行く。この映画は、ババさんとヤマネくんともに絶賛という代物で、勧められて観た人達もみな良かったと言っている、オパール的には必見の映画なのだけれども、私はなんとなく嫌な予感がして今まで観ないでいた。しかし他に観たい映画もないことだし、やはり観ておくべきかと、観に行ったのだった。
嫌な予感は的中した。確かによく出来た映画だ。面白く観れたし、最後には泣いてしまった。が、真に楽しめたとはいえない。正直に言って、私は観なくてもよかった、と思わせる映画だった。ここが、ババさんやヤマネくんのような「映画好き」の人達と違う所だろうと思う。といえば、二人は「別に僕等は映画好きじゃあない」と言うに決まっているのだが、二人がどんなに否定しようと、私に言わせれば二人は「映画好き」なのだ。なぜか。それはこの「ダブル・ジョパディー」のような映画を楽しめるからだ、と私は考えるのだ。
この映画は非常によく出来た娯楽作品である。それも自立度の高い「西洋の」娯楽作品である。自立度が高いということは、普遍的である=どこでも通用するという事でもあるが、閉じているともいえるのではないだろうか。少なくとも私にはそう感じられる。「映画」というものの世界に閉じこめられたような息苦しさを感じ、真に楽しむことが出来ないのだ。だから、「映画」という世界に閉じこめられる事を苦とせず、むしろ楽しめてしまう二人は、私にとって「映画好き」なのだ。
あと私の考えるこの映画の欠点をあげると、展開が早すぎ、ソツがなさすぎる、という点だ。勿論、これだけソツなく話を語るのは非常に高度な技術がいるわけで、その点は感心しないでもないけれど、語られている内容があまり面白くない。無実の罪を着せられた主人公が自らの手で事件を解決する、というよくある話が語られているに過ぎない。それ以上のものがほとんど語られていないように思われるのだ。どの場面も、筋を語るためだけに存在しているように感じられる。茫然とするような場面が、私にとっては、皆無だった。私が映画に求めるのは、まず、茫然とさせられるような圧倒的な場面だ。そういった場面がひとつでもあれば、その映画は私にとって観る価値がある事になる。残念ながら、この映画にはそんな場面はなかった。少し、厳しく批判しすぎだろうか。
今日は雨のせいか、オパールはとても暇だった。明日は暖かくなるそうだ。
小川顕太郎 Original:2000-Apr-6;