1999・10月12日〜
From readers ● 11月16日(TUE.)
電脳OPALEに関するエトセトラ
makiさんからの投稿
かつて、このような(意味があるかなきかの)熱い論議が交わされたのが、ちょっぴりアカデミックでちょっぴり胡散臭い(?)カフェーという空間だったのであろう。。。などと「ソワレ」と「スマート珈琲」で思いを巡らすうち、エリさんや新人くんに先を越されちゃった! 松山さんの広場改め読者の広場、万歳。
NG パンフ……と、仮に名付けてしまいましたが。私はフリーランサーであるため、24 時間携帯電話一本でクライアントとつながっていて初めてお仕事が成り立つ身。残念ながら映画館(あと、悲しいかな六曜社地下店もねっ!)とはほぼ無縁でもっぱらビデオな日々、レンタル帰りに数件北のカフェオパールへ立ち寄るわけで。さらに映画を観たとしても、フランス人なので(うそ。)パンフを購入しないタチ、そんな私には、ものすごく基本的なところで疑問が。。。
「なぜ、映画パンフを買うのですか?」(ブルータス風)。
内容に関して、よりよく理解を深めるため? スタイルとして? 記念に? きっと、その求めているものと、作り手(書き手)の予測がどこかでズレてきているのですね。
いずれにしても価格に関しては、ワインの価格が料理の価格を大幅に上まわるレストランに問題があるように、本体である鑑賞料金とのバランスが悪いのはちょっとまずいですよね。作り手は、買い手のことをもっと真摯に慮ることが必要なのかもしれません。「若い根っこの会」ガンバレ!
京都のパリ化反対!……って言葉を見るたびドキドキしちゃいます。過去、某雑誌にて、大好きな寺町を書くに当たり、「寺町パリ化計画進行中」とか言ってしまった私としては。でも、それ以前、「オープンカフェは京都人の気質には全く合わないので、ブームで店は生まれようと、きっと定着しないであろう」という説を立てたことも。鰻の寝床の奥の奥から、ご近所の誰が通るかわからないひさしの下のテーブルまでは、文化という壁を隔てて遠い道のりがあるような気がしたのです。その点において、図らずもカフェオパールは、ビル 6F にある=オープンでない=外から見えない=極めて「京都系。」? と思ったり。。。
それより、古い民家や裁判所(大好きだったのに!)や毎日新聞社ビル(なんでオレンジなのよぉ!)をじゃんじゃん立て替えてしまったり、御池通りの並木を無くしたり、紅葉の季節にばっさばっさと街路樹の伐採をしちゃう京都のエライさんに、パリのあの古い街並みの素晴らしさを見習ってほしいもんだわ、プンプン!
才能発言……私も未熟ながら今、「書く才能」で生きています。そこには、クライアント(私にお金を払う人であり、書かれたものに責任を持ってくれる人)が存在し、読者が存在します。だから私が(「名のある作家」でなく)いちライターである限り、個人の主義主張よりも、その媒体の読者を想定・意識し、あくまで彼らを主体にした中でよりよい文章を書くことが求められるのですね。
ただし、「写真のスミのほうにちらっと写っているオムライスの値段」とか「ここに載ってない商品に関する情報」までをわざわざ編集部に電話して問うような、おんぶだっこの哀れな読者におそれをなし、データ一辺倒な記事を掲載し続ける一部情報誌には、それはそれで問題があると思う。…以上脱線。
でも、WEB 上においては、その責任と読者の存在がとても曖昧。行き過ぎることは容易だし、過ぎても誰も止めてくれないかもしれないし。その点、このサイトは、カフェオパールという「現実の場所」を所有していて、いざとなれば「これを書いたのは、オヌシかぁ!」と殴り込むことも殴り込まれることも可能。その環境を、恵まれていると解釈するか都合が悪いと解釈するか?
言葉が何モノかに制約される必要はないし、ポジティブな発言はきっといかなる場面にも制約は不要、おおいに歓迎されるべきだし。。。ただし、ネガティブな発言(糞なんとか、や個人批判など)をしようとするときは、いつもより少し余分に客観的な思慮が必要とされるのでしょうね。きっと。
などなど、思いつくまま勝手に生意気に、いろいろ書いてみましたが。どうかみなさまの広い心で受け止めてやってください。というところで、原稿(こっちは稿料発生)を待っている人(@神戸あたり)からの催促の声が、そろそろ聞こえてきそうな気配がするので、この辺で失礼させていただきます。Salut!
(maki)
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マキさんへの店主の返事
投稿ありがとうございます! マキさんは本当にパリが好きなんですねえ。感心します。いや皮肉ではなく。だって私、日本は日本語のような遅れた言葉を使っていたから戦争に負けた! フランス語を国の公用語として採用せよ! とかいう志賀直哉が大好きだったりしますから。それぐらい「野蛮」というか「愚鈍」な事を言う・やる人っていないかしらん。なんか世の中、中途半端な馬鹿ばかりで嫌になってしまう。ううむ、私とて馬鹿さが足りないしなあ。どこかに頭でもぶつけようかな。
(店主こと小川顕太郎)
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管理人より
アナザー仏諜報部員のマキさん、素敵な投稿メルシー! パンフについては、確か映画不リーク BABA さんは「売っていたらなんでも買う」というスタンス、ワタクシは「映画を見て謎が多かったら買う」です。詳しくは BBS にて。さあ、みなさんもぢゃんぢゃん投稿しよう!
(管理人)
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From readers ● 11月15日(MON.)
映画パンフ考(新人)
麻田 弦さんからの投稿
こんにちは! はじめてオパールのページに投稿します麻田といいます。このところ、映画パンフに関して色々と意見が飛び交っているみたいですが、僕も思うところ少しあり、投稿させていただきました。
そもそも皆さんは、映画のパンフレットというものが日本にしかないって知ってました? そうなんです。日本以外の国ではパンフレットといったものが存在せず、いわゆる「映画研究本」「映画本」があるだけなのです。それらは、本屋或るいはごく少数の書籍スペースを備えた劇場で売られており、日本で見られるような映画パンフはないんすよ。だから、日本にやって来る俳優さんや監督さんは、その存在に驚き、時には喜んで持って帰るらしいです。ちょっと、いい話ですね。ま、このパンフ文化ってもの自体(僕は嫌いじゃありません)は日本人のある気質を如実に表しているような気がして、うーむと考えこんだり(良い悪い抜きに)もしますが皆さんいかがですか?
さて、糞パンフ(旧称?)に関してですが、変形パンフや音楽シーンと連動したパンフの中には(あくまで自分の価値観からですが)糞パンフと呼びたくなるようなものもあるとは思います。そう思ったときは、見本だけ見て買わんときましょう。経済原理で気づきますよ、企画・デザイン側も。「自分が間違っていた」と。思わなかったら、それはちゃんと需要があるということでしょう。蓼食う虫も好き好き。それでも、腹がたってたって仕方ない場合は配給さん等に直接文句言いましょう! というのが僕の意見です。
とはいうものの、話が宣伝用のチラシや予告に及んだ場合、そこまで悠長なことは言っていられないような気もします。人々に捻じ曲げられた情報を与え、結局は客足を遠のかせる結果を招いたりするケースがあるからです。チラシや予告がどう考えても作品そのものとかけ離れているとしか思えない時ってありません? 作品、作家を愛する気持ちが強ければ強いほど、そのような状況が許せなくなるのもまた当然だろうなと思います。ああ難しいですね。
難しくなってきたところで失礼します(なんと無責任な!)。この頃なぜか忙しくオパールへ行けてないのですが、また気持ち良く酔っ払いにいきます。ホームページも楽しみにしてます。それでは!
「京都パリ化反対キャンペーン」パリ育ち京都人の僕はどうする!?
(麻田 弦/学生、卒論やばし)
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麻田くんへの店主の返事
投稿ありがとうございます! パンフレットが英・米・ヨーロッパ圏にはどうやらないらしい、というのはババさんとともに調査済みだったのですが、そうですか、他の国にもありませんか、日本だけなのですか。私の仮説では、日本は映画を完全に輸入文化として受け入れたので、それを解説・補完するという意味あいでパンフレットは始まったのではないかというものでした。レコードや CD のライナーノーツみたいな感じ。だから他の日本同様に映画を外来文化として受け入れた国々の中には、パンフレットがあるところもあるのではないかと思っていたのですが…。
これは BBS に書き込んでいたハヤシくんにも共通する事ですが、ハヤシくんも麻田くんもパンフレットを一般商品と同様に扱って論をすすめています。しかし、パンフレットは一般商品と同列には扱えないと思います。パンフレットは、これが気にくわないからあっちを買おう、という訳にはいきません。その映画のパンフレットが欲しかったら、「それ」を買うしかありません。要するに、いくらパンフが下らなくても映画が良ければ売れるし、またいくらパンフが良くても映画が悪ければ売れないという事です。したがってそこには麻田くんいうところの「経済原理」はうまく働かないと思います。またハヤシくんのいうような「消費者が商品を作っていく」という構図もうまく当てはまらないと思います。どちらかといえば、作り手の勝手な思いこみがパンフを作っているというのが現状ではないでしょうか。だからこそ厳しい批判が必要だと思うのですが。とにかく投稿ありがとうございました。卒論頑張って下さい。
(店主こと小川顕太郎)
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管理人より
麻田弦さん、投稿ありがとうございます! 今週もまだまだ続く「よりよい映画パンフレットを求める若い根っこ」(仮称)たちの論争。ワタクシ映画とかパンフとかあまり詳しくないんで、鴨川の河原でゆりかもめを見つめていた BABA さんにコメントを求めたところ、「パンフ? ふーん。どんなんでもいいんぢゃない? ところで管理人くん、通勤時間に電車に飛び込んで死ぬのが、人にいちばん迷惑をかける痛快な死に方だらうねえ。ああ、やだやだ」と冷たい笑みを浮かべておりました。むむ。
(管理人)
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From readers ● 11月14日(SUN.)
私もひとこと。
エリさんからの投稿
オパールに行きたいけどちょうど開店時間前ばっかりに河原町に出向いてしまい残念な日々を送っています。明日ぐらいフライヤーもってお茶しに行きたい予定です。で、4 日ぶりにネット繋げて読みましたけど、実際デザインって仕事に関わっているものからみたらお得意の云々とかいろいろ考えたらしゃ〜ないなって話になっちゃうんでしょうが、私もテキスト重視な人なので HP でも、パンフでもテキストが片寄っていたり(編集に)ビジュアル重視だったら買いません。っていうか、映画パンフの機能は果たしていないと思います。
知りたいことが書いていない。あちこちの小文化人気取りの人があの手この手でその映画を絶賛している文章が何故パンフレットに必要なのか『???』です。大きいのも収納下手な私には泣きそうになります。1500 円以上はまず買わないし。
その点、文楽のパンフなどはすごくよく出来ています。パンフの役割が凝縮してあってシナリオ(床本)付きで 1000 円。素晴しいです。大きさも A4(笑)。
私はグルービジョンズの方もミルクマン斎藤氏もまったく知らないので勝手に楽しく相槌をたまに打ちつつ読ませてもらっています。知識が薄いので積極的に参加できないのがもどかしいですが。でも、ロマンザの松山さんのように知っている方々だった場合いろいろ気をつかわれるのも事実なんでしょうね。オパールと関わった以上、毒を食らわば、ってのんきな事書いてすみません。
私はこういう HP がそしてそれに参加されている方々が実際働いているカフェが身近にあるってことがとても頼もしく、素敵なことだと思います。
個人的に、私はデザインのこと指摘されるのはイヤではありません。褒められるにこしたことないけど。痛いことも言われたらうれしいです。
そんな話が BBS で繰り広げられているなか、おいしんのマライヤネタの浮き方も笑えてきて、本当にいい HP やなぁ〜と思っています。
(エリ)
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エリさんへのオガワトモコさんからのお返事
エリさん、投稿ありがとう! 最近の論争は、カフェのサイトにしてはあまりにも無礼千万で、もうちょっと商売のことを考えて欲しいなあ、きっとみなさん引いておられるのでは? と思っていたところに投稿をいただいてとっても嬉しいです。店主や BABA さんの暴走をたしなめていただいたロマンザ/松山さんの素晴らしい男気あふれる投稿や、エリさんの至極まっとうな投稿があって初めてこのサイトも、説得力を持ちだしたなあ、と思っております。ホントにありがとうございました! また、お店でお会いしましょう。
(オガワトモコ)
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管理人より
エリさん、投稿ありがとうございます! 映画のパンフレットというものはこれまであまり批判の対象になって来なかったと思います。いわゆる批評を生業とする方々は、試写会で映画をご覧になってプレスシートを貰う。パンフの善し悪しは批評家の方々にはどうでも良い問題。しかし、ボクが思うに、日本においてはパンフも「映画を見る」という行為に付随する重要な要素で、ダメなものはダメ、いいものはいいと誰かがどこかで言っておかないといけないと思います。このサイトがよりよいパンフ作りの一助になれば良いなあ、と大それた望みを抱いております。ほんと、何様のつもりでしょうね。なぜカフェのサイトでこのような論争が活発になるのか、という謎はみなさん勝手に考えていただくとして、今後とも当カフェ・オパールサイトをよろしく。投稿もお待ちしております!
(管理人)
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From readers ● 11月13日(SAT.)
パンフ? パフん? ぱ・糞????
ロマンザ松山禎弘さんからのお便り
ちょっとの間 BBS に遠征して多少イジられて帰ってまいりました。細かく分類するとみなさん多様な意見をお持ちだということがわかりました。ちょっとしたことに丁寧に説明してくださる方やこの論争の出現にどこか楽しんでいるような小川さん、BABA さん、管理人さん(?)に深く感謝します。
そしてまた例の「糞パン不」ですが、私は一部のリバイバル企画に関しては、個人的好み抜きにして、しかたのないこと、外部からとやかく言うことではないのでは? と思うのです。そもそも「糞パン不」の的の中心はこの一部のリバイバル企画ですよね?
たぶんそのルーツはピチカートやコレクターズが企画を提供しだしたあたりからで、パンフレットもこのとき極端に小さい蛇腹式でテキストも提供側によるものでした。ただこのときこれがパンフレットという名目で売られてたかどうかは定かではありませんが、そのあたりから音楽がらみ、ファッションがらみのリバイバル上映が増えたんじゃないかと思います(違ったらごめんなさい)。これについては映画ファンや企画者側のファンにとって喜ばしいことであり、劇場上映期間の全ての時間を占領するわけでもないので他の映画ファンも気を悪くするようなことではないでしょう。
問題はパンフですが普通リバイバル上映といえばパンフレットの販売が無いということはぜんぜん不思議じゃないことで、あったらあったでそれが気にいらないものだったら買わなければ済むことでパンフがデザイン的、サイズ的に極端なものが悪いとも思わないし、ここに企画者側の意向が反映され、気に入ったクリエイターたちに一任されるということもおおいにけっこうなことだと思います。内容については私も最近あまり読んでないのでどうとも言えませんが、昔のものを見ても賛否両論あるのでは? と思う、ライターにタレントや役者の起用も大昔からあり、写真ばかりで内容の薄いものも多々あったし誤字脱字も今より多かった。もちろん優れたものは今も昔も多く存在しているとも思います。
そして「ミルクマンさいのう」発言。才能の有無については論争しても水掛け論になる一方でして、これは読む人それぞれで「その人どんなひどい文章書いてンだろう」という固定概念を胸に抱いて読むのは大間違いなこと、ちゃんと自分の目と心で読んで判断して欲しい、ただし私には人の才能までは読めませんが。
BBS で「烏合の衆」という私からの発言は私の調子に載り過ぎ発言でした、ごめんちゃい。
私はしばらく身をひそめます(もともとみんなそうだけど)。次なる問題〜新キャンペーンとならないうちに意見のある人はどんどんどんどんね?
ではまたオパールで、ワイン、ボルトでおねがいします。
(松山禎弘/ロマンザ)
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マツヤマさんへの店主の返事 その 2
またしても松山さんからナイスな投稿。ほんとに有り難うございます。松山さんの言っていることはしごくまっとうな事で、私としても賛意を表すのに吝かではありません。ただそれでもやはり、私とは微妙に意見が違う。まあそんな微妙な違いなんか無視しても構わないのですが、それではみんなも面白くないでしょうから、この「微妙な違い」を簡単に説明してコメントに代えたいと思います。
松山さんは「私は一部のリバイバル企画に関しては、〜外部からとやかく言うことではないのでは?」と書かれていますが、私としては「外部から言ったほうがよいのでは?」と思うのです。ここで松山さんが「外部」として何を指しているのか正確には分かりませんが、私は「制作者・企画者ではなく受け手・ファン」という意味に解します。全然関係ない人達はこの場合除外しても構わないでしょう。で、私やババさんが「糞パンフ!」とか言うときに、どういう立場にたってものを言っているかといえば、それはやはり一映画ファンとしてなのです。ファン・受け手は常に文句をいう権利があるし、制作者・企画者は常にそれを受ける義務があると思います。無論、「受ける」といってもそれは全面的に受け入れる事では勿論なく、下らない・独善的な意見だと判断したら無視、あるいは反論すればよいと思います。が、こういった受け手と作り手の交流が「退廃」を防ぐのだと私は信じています。
こういった音楽がらみ・ファッションがらみのリバイバル企画の企画者側は、従来とは違った上映形態を望んでいるのかもしれず、故にパンフも従来のような「ダサイ」ものではなく「スマート」なものにしようとしているのかもしれません。そしてそれはそれで一理ある事です。しかし、どんな映画でもそうですが、例えば最近のリバイバル上映の定番であるゴダールなんて最もそうですが、こういった企画者側の意図するであろうような括りに収まるものではありません。だから様々な企画者側の望んでいない(?)人達も上映に集まってきます。それに対して「お前らのために企画したんじゃない」といった態度をとるなら別ですが、その人達からもお金をとっている以上、やはりそういった人達の意見も聞くべきだと思うのです。もちろん先ほども言ったように、聞いてからどうするかはまた別問題ですが。
リバイバル上映でパンフがないのは当たり前、あっても気に入らなかったら買わなければよい、というのも一理あります。でも私は、(もしその映画が素晴らしければ)パンフがなければ作ってほしいし、あるならばより良いものが欲しい。だってもし映画が素晴らしければ、どんなにパンフが気に入らなくても思わず買ってしまいますから。そういった意味でも、映画のパンフというのは普通の商品と少し違うと思うのです。要するに映画に大きく依存している、悪く言えば寄生している、と。だから思わず厳しくなるんでしょうね。
「ミルクマンさいのう」問題に関しては、私と松山さんの最大の違いはミルクマン氏と交友関係があるかないかだと思います。それ以外では松山さんの言っている事は完全に正しい。みんな自分の目と心でしっかりと現物にあたって判断を下してください。それでもし「ミルクマン斉藤って最高! オパール店主は何にも分かってない!!」と思ったら、おもいっきり私の事を嘲笑して下さいませ。
なんだか松山さんはしばらくひっこむそうで、とても寂しい。んじゃ松山さん、今度はオパールで会いましょう。ワインのボルトを用意してお待ちしております。
(店主こと小川顕太郎)
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From readers ● 11月10日(WED.)
フランス帰りのエージェント
ロマンザ 松山禎弘さんからのお便り
やあ、やっぱりフランスは良かったです。リヨンの飯はうまかったなあ。パリでは映画のロケ(アジア映画)も見れたし、レコードフェアにも行きました。白痴と言われた『ポリー・マグー』のレコードも買っちゃいました。やっぱり年に一度は行かなあかん! …と未だに余韻たっぷりの私ではございますが。
京都がパリみたいになる(わけないけど)ちゅうのもおもろそうだなあ。15 年間ずっと観光客気分でよそものの私としてはそんなへんてこりんな京都も見てみたい、と思っているので決してパリ化反対ではありません。いや反対でも賛成でもありません。雑誌などで無理矢理京都がパリに見立てられることはあっても、京都がパリみたいになるなんてことは絶対ありえないと思うし、京都をパリ化しようなんて人間がいても京都全体から見ればほんの一部だと思います。ただ「フランスが好き」という理由も人それぞれで、「フランスが、パリが好き」と言うこと事態がダサく、格好わるくなるような風潮にだけはならなければいいなあと思っているのです。勿論、それがアメリカでもロンドンでも中国でも同じことですが。
さて話変わって例の「糞パンフ」ですが、私の部屋のパンフ棚(って言ってもそんなにないけど)も最近は凸凹具合も大きさ別で多少はまとまりを見せてきております。それもやはり変型パンフとなればまっ先に買ってしまうという白痴度 100 %発揮のせいでありまして。しかしそんな私とてパンフレットが 600 円位で普通サイズだったら「ああ助かった」という気持ちになるのです。
私個人としましてはリバイバル映画はオリジナルの複製、またはテキストのみを差替えたもの、新作は自由形で良いと思います。でも現状は全く正反対なのは、リバイバル企画に関しては日本独自のものであり企画事態がファッション、デザイン、音楽界からの流れであることが多く、パンフレットはその全ての補完物であるという感が強い。新作映画に関しては当然作り手や配給元主導なので日本だけ特別というわけにはいかないだろうが、日本映画に関してはもっともっと自由にやっても良いのでは? と思う。そんなわけでリバイバル上映に関しては企画の動機に善し悪しがあるかもしれないが、BABA さんのような映画不リークにとってはとりあえず見れるということが先決でパンフレットは欲しければ買う、気に入らなければチラシ、雑誌、パンフからでも気に入った写真をスクラップして、オリジナルテキストをつけて作っちゃうなんてのは…ダメですよね。
さて最後ですがこれは書くべきか否か迷いました。しかしこれまでの内容が曖昧なのもこの迷いがあるからで、はっきり言いましょう。「店主の日記 10 月 26 日」の中で「糞パンフ追放」について、「ミルクマン斉藤などに代表される、明らかに才能のない奴には書かせないこと」、とネット上で流してしまうことはかなり暴力的で危険なことだと思いました。Movie Review 10 月 2 日「マイ・ネーム・イズ・ジョー」で BABA さんがミルクマン氏を的確に指摘した小さな傷口を無理に広げ、大嫌い=才能がないと決めつけているように思えるのですが、いかがなものでしょう。
「おれはミルクマンが嫌いじゃ」と言ってしまう方がよりスマートなのでは? 「糞パンフ追放」にしてもパンフレットには作り手という人の手が加わっている訳で、私やカフェオパールの身近なところにもそれを作っている人やその関係者が存在してるじゃないですか、いくら否定するにもそれをひとことで糞とかタコとか言うもんじゃないと思います。ただ、せめてパンフは千円以下で、というのが私の個人的な意見、観賞料越えるとやっぱり×かも?
尚上記に関しては私の友人に対する個人的感情がおおいに含まれております。
そんなこと言うならわざわざホームページ読むんじゃない! と言われても私は読み続けます、投稿します、エスプレッソも飲みに行きます。
P. S. ウガタ君、BBS で「もうオパールもロマンザも二度と行きません」、って書いてたけど一度もウチでカットしたことなかったよネ。
(松山禎弘/ロマンザ パーマの才能…?)
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マツヤマさんへの店主の返事
松山さん、ナイスな投稿有り難うございます。正にこれこそ待ち望んでいた投稿です。大体オパールのサイトの最近の合い言葉は「挑発的」でありまして、何故かと言うにナイスな反応が欲しいからなんですね。多少極端な事をいって曖昧な物事をはっきりさせよう、それも笑いとともに、という考えなんです。しかしこれに反応がないと、我々が単なるバカにみえちゃうわけですよ。まさか我々とてホントに京都がパリ化するとは思っていません。要するに松山さんのようなナイスな反応があってはじめて意味をなすというか、そういうもんなんです。改めて投稿有り難うございます。
で、これはちゃんと返事をしなければならないと思うのでします。糞パンフ追放及びミルクマン斉藤氏の事です。松山さんの言っている事はしごくまっとうな事だと思います。ミルクマン斉藤に代表されるような才能のない書き手には文章を書かせるな、とか言い放つことは、確かに思慮を欠いた下品な行為であると私も自覚しております。糞パンフについても同様。これによって松山さんを含む関係者一同が不快に思うのは当然だし、そう言われれば私は素直に謝ります。すいませんでした。
ただ、ひとつ誤解を解いておきたいのは、私はミルクマン氏が嫌いだから才能がないと書いたわけではありません。私はミルクマン氏を直接知りませんが、何度か見かけた感じでは、憎めないかんじで好感を持ちました。しかしミルクマン氏の書く文章はひどい、才能がない、と私は好悪の感情抜きで、論理的に判断します。そんな事いわれても所詮それはお前ひとりの勝手な判断じゃないか、と言われるかもしれません。それはその通りなのですが、絶対的・客観的な基準が存在しない以上、ひとはそれぞれ自分なりの基準に基づいて判断を下すしかありません。勿論その基準は好悪の感情に基づいてはいけない、つまり独りよがりになってはいけないでしょう。
ではそれを防ぐにはどうすればよいのか。私としては、様々な人がそれぞれの基準を明確にしつつ、相互批判を繰り返していく以外にないと思うのです。それを避けて、世の中には色々な考え方がある、俺も批判しないからお前も俺を批判するな、というのでは、世の中が退廃していくと思うのです。そして実際退廃していると思います。だから私としては、愚かで無粋であることは百も承知ながら、野蛮な一刀を振り回しているといった次第なのです。
糞パンフ追放に関しても同意見です。まあ、確かにやり方に拙い所があるのは事実だろうし、なにかと不快に思うことも多いでしょうが、そこらへんはどうかお許しを。忌憚のないご意見・ご批判をお待ちしております。
最後に。これからもオパールでは、危険で暴力的で野蛮で下品ではしたないキャンペーンを、ガンガンはっていく予定です。あきれないで、これからもナイスな反論をガシガシ送って下さい。頼みますよ、松山さん!
(店主こと小川顕太郎)
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ちなみに映画不リークの方の BABA さんの本名は「松山和弘」なんですが、ロマンザの松山さんと似ているのでお間違えなきよう。引き続きナイスな投稿お待ちしております!
(管理人)
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From readers ● 10月12日(TUE.)
私は白痴?
R 座 M 山さんからのお便り
はじめまして、フランス諜報部員の R 座 M 山です。
先日オリーブの京都特集の幼稚かつトホホ(死語か?)な文章でトモコさんと大爆笑していたのですが、まあしょせん少女雑誌、もしかしたら若〜い人たちはストレートに読めてしまえるのかなあと思っているんです、が、しかし「京都のパリ化反対!!」で書かれている「ロマンザの松山はパリに一週間行くことが…」という一節はケツの穴の小さい私としてはどうも気になる。それも「白痴なノリのフランス映画上映」「カフェパリという露骨なネイミング」の文にはさまれて…。どうも白痴なノリで露骨に『オラ、パリさ行くだ!』とうかれ顔ではしゃいでいる姿を思い浮かべるのは私本人だけなのでしょうか。少し当たってるだけになお悔しい。ちなみに今回の目的地はパリではなくリヨンです、と書くと何度も行ってると思われるでしょうが二度目です。
まあいろいろと言い分もあるのですが、とりあえず私がフランスに行くことと京都パリ化は切り離して考えてもらえませんでしょうか。問題は「京都パリ化反対」! ですよ。これに関して私はおもしろいことと思ってます、滑稽で、という意味も含めてですが。もし私が雑誌編集長で「◯◯パリ化計画」なんて特集を組むならやっぱり「◯◯は京都にしよう!」となるでしょうね。神戸ではあたりまえなかんじもするし、鎌倉ではマイナーだし、京都は寺社仏閣、舞妓のイメージが強い分意外性がある、しかもそれ風のテラス風のカフェ風の店もあるらしいし、「よし今回はあぶらとり紙や抹茶アイスのない京都を、カフェドジはインドネシア風だから今回はやめとこう、平安神宮の鳥居は凱旋門で松方弘樹はゲンズブール! これでいこっ」てなぐあいになりますかねぇ。
そもそも京都って JR の CM 「そうだ京都へ行こう」あたりから注目され始めたんでしょうね。「あっあれたべよう」のネイミングもあの CM が頭のどっかにあったと思う。家の近所のラーメン屋は「あっラーメンたべよ!」って旗たててるし、京都のスーパーチェーン店「大国屋」のオリジナルの豆腐の名前が「あっこれ買おう!」なんです。話はそれましたが露骨なネイミングの「カフェパリ」でした? これけっこうましです。電話帳の「はり」のページを見るともっとすごいのが! 「パリの食堂、パリの朝市、巴里亭、巴里本舗、パリ美容室、パリー美容室、パリヤ、番外ではバリバリインドネシア」。だから「カフェパリ」がもし改名するなら「パリのカフェ」、「カフェはパリ」、「パリの喫茶店」なんていかがでしょう? 「カフェパリ」っていうとねえ私はあれに近いノリだと思うんです、渋谷のまん中にあるでしょう「京たこ」! あんなかんじですかねぇ。なんかちゅうとはんぱですが、今回はこのへんで。
(松山禎弘/ロマンザ パーマの才能…?)
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マツヤマさんへの店主のお返事
なんとフランス諜報部員のマツヤマさんからも「京都のパリ化反対!」へのエールが! もちろん彼は立場上そう露骨に反対を唱えることは出来ないが、様々な仕掛けをほどこしつつ、京都のパリ化を相対化・脱臼化するという高等戦術だ。さらに新たな情報まで提供。これから京都のパリ化反対運動が盛り上がる事は必至だろう。さあみんな! 我々と「共闘」しよう!!
(店主こと小川顕太郎)
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管理人より
「カフェ・パリ」は、雑誌なんかで「B.C.P.」というアクロニム(頭文字の短縮形)で紹介されることが多く、C =カフェ、P =パリとわかるのですが、B って何? 「ボンジュール・カフェ・パリ」? 「ボナピテ・カフェ・パリ」? 知っている人は教えてください。
(管理人)