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OPAL Dojo シゴキ SPECIAL! 11月1日(WED.)

クラブ・イベント「Soul Survivors」のフライヤーをデザインせよ!

 弟子オイシンさんの要望にお応えして、「オパール道場・風雲デザイン編」をお届けします。毎月コラージュで開催されているイベント「Soul Survivors」様のご厚意により、フライヤーを課題としてデザインさせていただくことになりました。ご協力ありがとうございました。

この課の目標

  1. グラフィック・デザイン、印刷デザインを学ぼう。
  2. クライアントの要望に応えよう。

以下、オパール道場弟子オイシンデザインによる『Soul Survivors』フライヤーと、デザインするにあたっての能書き。

フライヤー表Image フライヤー裏Image
   
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デザインコンセプト
まず分かりやすくすること。配色はソウルの CD のジャケットを参考にしました。
よかったところ
データががちゃんと印刷物として仕上がったこと。まあまあ分かりやすい(と思う)
反省点
ソウルサバイバーズのタイトルがイマイチ分かりにくいこと。 裏側のレイアウトがのぺっとしているところ。 スケジュール調整が甘く、全てのロゴをトレースしきれなかったこと。
細かいレイアウトのずれ(EX. Northern Soul, Modern Soul が中央に配置されていない。など)

オイシン

OPAL Dojo シゴキ SPECIAL! 11月8日(WED.)

浪人:おチェケ丸殿の講評

デザインコンセプト
まず分かりやすくすること。配色はソウルの CD のジャケットを参考にしました。

 あはは。あはははははははは。はは。莫迦も休み休み言いなさい。「情報を正確に伝達すること」が広告デザインの大前提であるし、そのためには「分かりやすさ」ってのは必須ではないの。「分かりやすい」のは当然であって殊更に「コンセプトでございます」ってもんぢゃないよ。「配色はソウルの CD のジャケットを参考に」ってのも、これは「手段」であって「コンセプト」ではないね。

 はい、さようなら。

 だいたい広告デザインにコンセプトなんていらんのよ。もしどこかにコンセプトめいたモノが存在するとすれば、広告するイベント自体にある筈だからね。対象(目的)は既にそこに在って、そこに到達(視覚化)するための手段(手法)が問われているワケでしょ。オイシンは只それ(対象)を良く理解して、正確に伝達(視覚化)すればいいのだ。

 はい、さようなら。これだけでホントにさよならをしたいんですけど、でももう少し書きましょう。

 先ず、フライヤーデザインの良し悪しを講評するってのは凄く難しいな、と思う。というのも、一般的にデザインとしては宜しくないなという仕上がりであっても、そのヘタッピーなところが逆に良い味を出してたりして意外に効果的であったり、また、そういう効果をワザと狙って、無理矢理ヘタッピーに作ったりしている輩もいるからね。で、今回のオイシンのデザインはどうかということなんですけど。

 たとえば、昔は文字ひとつ使うにしても、今みたいにマックなんていうハイカラなモノがなくて、写植だったり、それ以前は活字であったりするワケで、書体の数は限られてるし、サイズも予め設定されている数種類の大きさからしか選べないしで、そんな制約の多い中で、皆一所懸命良いデザインを作ってたんですよね。だからせめてタイトル文字くらいは精一杯がんばろうっと、手描きで一文字一文字コツコツとオリジナルの文字を描いてたりして、それが今になって見てみると、その手描き文字のエッジの荒れた感が昔ポクて良い〜とか、ひとつの書体の大小だけで文字組したりするのがカッコえ〜って感じるワケ。実際カッコえ〜、です。

 で、オイシンのデザインはどうか。実は思ってたよりも良く出来ているように見えます。カフェの棚なんかに他のフライヤーなんかに混じってさり気なく置かれていたりすると、誰もオイシンが作ったモノだとは気付かないでしょう、多分。図ったのか図らずもか分からないけど、裏面全部同じ書体でいっちゃってるところとか良いんではないのでしょうか。ただ本人も書いているようにのぺ〜としてるけどね。(でも、まあ、のぺ〜としてる所も又フライヤーぽいなという気もするけど)

 で、なぜにのぺ〜としているかというと、文字の大小(強弱)のメリハリ、余白の使い方が巧く出来てないから。まあ、書いてても良く分からないと思うのでいくつか図示します。

  • もっと思いきって、文字の大小をつけましょう。
  • 同じファミリーの書体(太字・斜体等)も使ってみましょう。
fig1 fig1

「デザインを仕上げる」には、大きく 2 つの道があるように思います。「整然としたモノに変化を与える」方法と「雑然としたモノに統一する」方法です。単一のファミリーの書体で文字組を仕上げる場合、自ずから纏まりはでます。で、その纏まりの中に如何に変化をもたらすかがキモです。オイシンも一応文字の大小を付けてはいるけど、まだまだ足りん。多少冒険をしたとしても、統一感を欠くということはありませんから、わんさか揺らしていこう。

  • 文字の塊が作るカタチ、余白が作るカタチに要注意。
fig2 fig2

 文字は「意味」を表すというと同時に、「絵」としても存在しているということを忘れてはいけませんよ。黒い部分=文字の集合(塊)が美しいカタチを成しているのか否か、また余白の白い部分が美しいカタチを作っているか、少し離して眼を細めて良く見てみよう。

おチェケ丸

OPAL Dojo シゴキ SPECIAL! 12月6日(WED.)

講評をうけて

 すいません! なにせ全然考えがまとまらなかったものでこんなに遅くなってしまいました。いや、今もまとまってないですがとにかく提出しますのでよろしくお願いします。


 まずは講評をして頂いたチェケさんに感謝。

 当たり前のことなんですが、自分の作ったフライヤーとチェケさんが作ったものを比べてあまりにも差が大きいのに吃驚しています。

 目に付いたのはやはり Ryo Kitaaki [Northern Voice] の部分、僕のものはこの文字が全て一つの塊のようになってしまっているのでぱっと見たときに、名前と所属の情報の区別がしにくい。それと比べてチェケさんのデザインはモニターの低い解像度のもとで見てもよく分かります。

 以前に自分のデザインを見て、「のぺーっとしている」と表現したのもののいまいちどういうことか分かっていなかったのですが、これが原因であるということがはっきりと理解できました。

「個々の情報をすぐに識別できるように視覚化する。」

 うわー、当たり前の事やった。

 しかしどうも分からないのは空白の美しさです、確かにチェケさんのデザインは美しい。美しいんだけども、実際その空白を線で囲った時になんのことやらさっぱり分からなくなってしまうのです、これは美しい形なのだそうか、うーん。

 先日 BABA さんと『タイポグラフィーの読み方』を見ていたときも、空白の美しさは分かっても、どうできているから美しいかがさっぱり分かりませんでした。

 もしかして余白が多ければいいんぢゃないのか! などとヤケっぱちな結論しかでてこない有り様。あーあ。

 そんな僕でも余白が文字を読みやすくする効果を持つと言う事は実感できたのでこれからは積極的に余白を あ け て い こ う と 思 い ま す 。


 今回の教訓

 見やすいデザインは気持ちがいい。

オイシン

講評執筆中! 乞うご期待。
それはともかく、イベントもよろしく!
次回 Soul Survivors は、…いつだっけ?