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Movie Review 1999・10月28日(THU.)

タイムトラベラー
 きのうから来た恋人

 原題は“ Blast From The Past ”で、「タイムトラベラー」という邦題が与えるサイエンス・フィクション的な印象とは無縁な作品。といってもカート・ヴォネガットの馬鹿話に似た雰囲気はある。

 1962 年、アメリカの喉元キューバにミサイル基地が建設され、全面核戦争寸前まで事態が進行したキューバ危機。発明家とその妻は勘違いから、自宅の核シェルターでで暮らし続ける。シェルターで生まれた息子が 35 年後、ついに地上に出るのだが…、という話。息子は 35 歳になるまで、空も海も、若い女の子も見たことがない生活で、1960 年代初頭の価値観を持つ。90 年代とのギャップを楽しむ、という『オースティン・パワーズ』と似たようなネタである。主演のブランドン・フレイザーの馬鹿っぷりが見ものであり、アメリカ映画お得意の「馬鹿を主人公にした映画」だ。最近では『ウォーターボーイ』がありましたね。

 どうしてアメリカで「馬鹿が主人公の映画」が量産(というほどでもないか)されるのか、と考えてみるに、アメリカが世界一の多民族国家だからではないか。「馬鹿が主人公の映画」ってのは、馬鹿も馬鹿にしていたけれど、結構馬鹿にできない、馬鹿もなかなかいいぢゃん、ひょっとしたら馬鹿の方がいいヤツかも、ホントの馬鹿は馬鹿を馬鹿にしていた私達ぢゃあないかしら? と、観客にパラダイム変換を要請する筋立てになっており、馬鹿と判断を下すわれわれの価値観は結局のところ狭いコミュニティでしか通用しないもので、馬鹿を馬鹿と笑ってもそれは「目くそ鼻くそを笑う」でしかなく、「もっと広い眼で世の中を見よ」と主張しているのである。こういう異なる価値観を持つ者を馬鹿にしてはいけない、ってのは他民族が混在するアメリカにあっては重要な作法といえ、バカを主人公にした映画が作られ続けるというワケだ。

 ひるがえって日本においては『なつかしい風来坊』『馬鹿まるだし』『馬鹿が戦車(タンク)でやってきた』などの諸作があり、藤山貫美の舞台にも馬鹿炸裂の伝統があるけれども、「ただの知能の低い馬鹿なんだけど馬鹿にも人並み以上の人情があった」というような結論であることが多く、アメリカの馬鹿映画とは趣を異にする。日本の場合はわれわれの価値観を破壊する力は持ち得ておらず、そもそも文明の衝突が少ない、ということなのであろう。あ、日本映画でもネパールから来た馬鹿を描いた『ベイビ−クリシュナ』という、アメリカの「馬鹿が主人公の映画」と同じ構造を持つ映画がありましたな。日本も今後より一層、他民族化が進むことを予言した映画、と言えよう(根拠なしですけど)

 …という話はおいといて。傑作『タイム・トラベラー』。馬鹿を演じるブランドン・フレイザーは「馬鹿を演じることに躊躇しない二枚目」としては天下一品。ホントの馬鹿か? と思わせるが、『ハムナプトラ』では二枚目に徹しており、天然ではない。さらに最近変な役ばっかりやってるクリストファー・ウォーケンもかなりキてます。大丈夫か? おまけに母親は『キャリー』のシシー・スペイセクで、ときおり見せる眼をむく表情は『キャリー』そのままで、狂気を漂わせる。馬鹿の価値を最初に見抜き、恋に落ちる女性が『Mr. フリーズの逆襲』のアリシア・シルヴァーストーン、と考え得る最高のキャスティングで(ホンマか?)、監督は名作『ポリス・アカデミー』のヒュー・ウィルソン。実はプロデューサーの一人が『ディープ・ブルー』のレニー・ハーリンで、さすが『フォード・フェアレーンの冒険』の監督だけのことはある。

 35 年間のギャップのどこに眼をつけるか? がこういう映画のポイントだと思うのだけど、なかなか素晴らしいです。ぜひ、みなさんもパラダイムを変換してみてください。

 ところで A ・シルヴァーストーンはまず、無意識下で馬鹿の価値に気づき出すのだが、彼女よりも先に意識的に気づくのがゲイの人、というのもアメリカで一般的にゲイがどのように認識されているかを示す象徴的な話だ。このゲイの人を演じているのがデイヴ・フォーリーという人で、なかなか良い。どういう映画に出ていたかを知りたいなあ、とパンフを見ても記事がないぢゃないか。この映画のパンフも「糞(ウンコ)」です。 IMDb で調べてみると『バグズ・ライフ』でアリンコの声をやった人でした。なるほど!

BABA Original: 1999-Jan-28;

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