親愛なる日記
『親愛なる日記』はモレッティの孤独な映画である。『赤いシュート』のようにすばらしく見事に制御された集団の映画ではなく、モレッティのなかで最も開かれた個人的な戦いの映画なのだ。
「ベスパに乗って」、「島めぐり」、「医者めぐり」とそれぞれ題された三部はすべて秀逸である。一見即興的に撮られたかのような 3 つのエピソードはどれもが表層的には異なってみえるにも関わらず、全てが同じ方法意識をもって完璧に計算、設計されているのが明らかなため、全体を俯瞰したり何故この順番になっているのか、或いはモレッティの秘められた個人的な感情を汲み取って思わず喝采を送ったり、テレビの中のシルヴァーナ・マンガーノをみつけて思わず踊り出したり(パゾリーニ映画祭の後だからいつもより余計に)、哀愁漂うひとりサッカーに目頭熱くさせたりといった具合に非常に色々な見方が楽しめるものとなっている。誰にでもおすすめ。
個人的には、一人っ子による独裁を執拗に描き、シルヴァーナ・マンガーノとサッカーを手みやげに持ち帰る「島めぐり」が最も好きな一遍。
モレッティはいつも何かに怒ったり反抗しているように思えるのだが、今回の対戦相手は「島めぐり」で暗示として語られる事の多い、イタリアの当時の首相ベルルスコーニであり(フォルツァ・イタリア党主。その名のごとく右翼、サッカーチーム「AC ミラン」のオーナーでもあり、メディア王でもある)、自分に対してであり、イタリアそのものである。その優劣、勝敗ついて語り出すと夢中になりすぎて日が暮れそうなので、今回はモレッティとローマについて少し述べたい。つまり「ベスパに乗って」のローマについてである。
映画を通して都市を知る、ということはないだろうか。それらは表層的にロケーションやショットの魅力によって、ある都市を映画の中で新鮮さを持って発見することもあれば、モンタージュや台詞などによって現実の都市とは別個の都市を構築するもの、登場人物の心象表現によって揺り動く都市といったものを見い出すことも可能だ。実際ローマについては、パリに劣らず都市として映画に頻繁に登場する。そして、モレッティの提示するローマは、これまでになく日常的で、現実の存在感に満たされているのである。
ベスパに乗ってローマを走ると、どうしても『ローマの休日』(1953)が想起される。この映画で映像として綴られるローマは、都市観光的なものであり、異邦人にとっての非日常的な都市体験としてのローマである。アン王女の非日常的な体験だからこそ、日常への回帰という帰結が伏線として成り立っているのだ。つまりこれは古代から現代までの壮大な時間のコラージュのような、錯綜したローマとも言える。
一方『フェリーニのローマ』(1972)のローマは現実感がゼロに近い。フェリーニは独自の映画的想像力によって、猥雑で、人間臭い空想都市、歴史とファンタジーの「ローマ」を撮りあげたのである。コロッセオすらセットだしね。リアルな実在感など存在しないが、際物的な魅力に溢れたローマに戸惑いすら感じる。
さて、「ベスパに乗って」のローマはワイラーやフェリーニの「ローマ」からある意味で対極にある。日常感に溢れているのみ、なのだ。彼はローマの環状線の外側から中心に入ろうとはしない。走りだすのは南部にあるガルバテッラ地区、1920 年代に住宅普及協会によって建設されたプレ・モダンな庶民住宅地であり、住民以外は殆ど訪れようもないが、70 年にわたる歳月の中でひっそりと刻まれた時間がつくりだした空間になんとやわらかな視線を投げかけていることか。
時には観光名所をかすめるように接近して通過するのだが、これはまさに「日常」のみをクローズアップするモレッティの戦略のように思える。それでベスパに乗ってんだね。ちがう?
建築的に際立っているわけでもない普通の近代建築を、やや見上げながらゆるやかに前進移動する数秒間がある。モレッティの視線となったカメラが、ファサードを正面から見据えるのでは無く、仰角の姿勢で建物をとらえるそのショットは、あまりにも散漫で、建築と映画の出会いを強く印象付けるものだ。勝手な話だけど。とにかくここで描かれている「ローマ」はすげえ、ってことが言いたかっただけです。
そういえば 5 、6 年前の春にローマで、モレッティがプログラムを組んでいる映画館に行くと、「そして人生は続く」を上映していた。感動した。当時のキアロスタミとモレッティ。うーん素晴らしい組み合わせではありませんか。
(ヤマネ)
Original: 1999-Dec-13;
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