マトリックス
ウォシャウスキー兄弟監督、キアヌ・リーブス主演
われわれの人生、現実という概念そのものが、隷属しているコンピュータによって生み出された幻想にすぎないものだった…という暗くてディストピア的な SF 映画。今のアメリカはこういうアイデアをすこぶる気に入っているようだ。
話の内容についてはあまりふれられないので後に譲るとして。近未来サイバーな世界観という類のものは、映画好きの無邪気な建築家が嬉々として飛びつくテーマなのである。いや、そういうことは差し置いても、明らかにこの映画のスクリーンからのシークエンス体験は建築の空間体験に似ている。というより監督が意識的なのかな。
基本的に映画は相互作用の存在しない芸術のため、常に受動的な知覚になるわけだけれども、特に『スターウォーズ』のように書き割り的なものの中から空間受容がどうだという話には決してならないはずである。その点、この映画においてはそんな二次元的束縛から解放されようとして「無理を通せば道理は引っ込む」的に撮影で無茶を通しているのが微笑ましくて、かつ見どころだ。CAD によって平面図から立体が立ち上がる瞬間にわき起こる期待と不安、そして満足感といった感情に近いものが全編を覆っている。
しかしそのような瞬間の触感は、非常になまなましいものであると同時にわざとらしいものでもあり、「映画」であることを強く意識させられる為、急激に加速して落下していく携帯電話のように突如現実に連れ戻される瞬間であるともいえる。『勝手にしやがれ』の最後にベルモンドが友人の名前を叫び、部屋から外に飛び出す時のカメラと同じ効果だと思う。というわけで、空間認識の新たな段階へと、その撮影技術によって半ば強引に(しかしほんのわずか)押し上げたことには見るべきものがある。
とにもかくにも、なんでやねん、とつっこむのがこういう映画の楽しみの一つなのだけれども、わりと沢山隙がちりばめてあって、好感が持てる。撮りたいところは粘って撮って、興味のないところは流している、その緩急もテリー・ギリアムなどに比べて明快な感じで、嫌らしさが無い。力いっぱいつっこみたい人にはお奨め。それにしても敵があんなずっこけ 3 人組みたいなのでほんとにいいのかな。
最後に、『酔拳 2』を見てから行くと一層楽しめます。
Original: 1999-Aug-30;