京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Reviews > 99 > 0819_02
Movie Review 1999・8月19日(THU.)

バッファロー'66

 どんなにかっちょいい映画だろうと想像していたら、めちゃくちゃ笑えるコメディでした。ゲラゲラ笑って、少しシンミリして、最後はホノボノした気分になるという「男はつらいよ」みたいな映画。ホメてるんだよ。

 みんなもうとっくに見ていると思うので、今回は遠慮なく内容に触れる。見てない人は決して読んではいけません。すぐに映画館へ走るべし。

 お話はパンフで柳下毅一郎氏が書いているように 70 年代アメリカン・ニューシネマ風味。ラスト、わけのわからない恨みでストリップティーズのオーナーの親父を殺して自殺するというところで終わっていたらばまさしくニューシネマ。まったく救いのないノー・フューチャーな終わり方・しかし最後まで笑わせるぜという終わり方のほうがボクは好みなのだが『やっぱり自分にベタ惚れの彼女がいるっていいよね〜』という終わり方の方がウケも良いだろうから商売的に考えるとオッケーか。でもこのカップルのなれそめを思い出すとこれで終わって良いのか? こういう結末が許されるのが 90 年代的なのかな? ホメてるんだって。

 主演のヴィンセント・ギャロは「グッドフェローズ」とか「アリゾナ・ドリーム」に出ていたらしい。「バスキア」にも本人としてパーティ・ゲストで出ていたらしいがまったく記憶なし。

 あんまり近寄りたくないメチャクチャな性格のヴィンセント・ギャロ演ずるところのビリー・ブラウンの物語は『両親への復讐の物語』。といっても別に両親を殺しにいったりするわけではありません。子どもの頃、子犬を取り上げられたり、チョコレートを食べさせられたりした恨みを『オレの両親はこんなヒドイ奴らなんだぜ』という映画を作って世間に公表するというやり方。ヴィンセント・ギャロいいヤツ。

 ギャロ、そのニセ妻、両親の 4 人がくりひろげるコントが笑えます。普通こんな撮り方しないよ〜という 4 人いるのに 3 人づつしか映らない撮り方もコント的。両親を演じるのはアンジェリカ・ヒューストンとベン・ギャザラ。特にフットボールキチガイの母親を演じた A. ヒューストンがステキ。「アダムス・ファミリー」のお母さんだ。確か川本三郎の本で読んだと思うんだけど、欧米では「コメディを…(以下略)。「ウォーターボーイ」とこの映画、メチャクチャな母親が出てくる、息子がとんでもないヤツという点で共通するが、コメディのネタになるくらいだからこういう母親がたくさんいるんだろうね。日本にもいるか。ノー・フューチャー。いやヴィンセント・ギャロのような子どもが育つということなら未来は明るいかな。

 ビリー・ブラウンにまったく取り柄がないかといえば、実はボーリングがめちゃくちゃうまい。ってそれが取り柄かどうかは意見の分かれるところですが。ボーリング場のロッカーに、きっとボーリング大会で優勝したんだろうトロフィーが積み上げられている。ロッカーのトロフィー、というワンカットだけで、ビリーが唯一の取り柄も親に否定され続けたであろうことを観客に呈示するところに監督の非凡さを感じます。ただの新しいだけの映画ぢゃないし、アーティストが余技で撮った映画でもない。にゅーっと画面の真ん中から回想シーンが飛び出してくるあたりはダサいが、まあ良い。個人的恨みを晴らすために作られた映画であるが、マスターピース。

 ミッキー・ローク、ジャン・マイケル・ヴィンセント(「ビッグ・ウェンズデー」が有名かな)、ロザンナ・アークェットらのなつかしのスターがチラリと出てきます。この辺のキャスティングも普通ぢゃない感じ。

 メチャクチャな男についていくクリスティーナ・リッチなんだが、彼女の内面描写をばっさり削ったところもスゴイ。どうしてこんな滅茶苦茶なヤツに唯々諾々とついていくのか、ボーリング場でのヘンテコなタップダンスを見ればなんとなく納得できてしまう。

 と絶賛に近いが、パンフでセレブリティな人々が短評しているのを読むとグングン萎えてくる。短い言葉でレッテルを貼れる映画ぢゃないと思うからこういう短評を集めるのは間違っていると思うし、うかうかとコメントしてしまうのも決してしてはいけないんだろうな、と思う。ま、とにかくもう一回見に行くつもり。

 しかしパンフレットはタコである。でかくて 1000 円なり。網点が大きくて読みにくいぢゃないか。京都みなみ会館で上映中。

BABA Original: 1999-Aug-19;

レビュー目次

Amazon.co.jp アソシエイト