キル・ビル Vol. 1
クエンティン・タランティーノの第 4 作にして 6 年ぶりの新作。
外国映画に出てくる「変な日本・日本人・日本語」好きにとっては「夢の映画」でございます。『007 は二度死ぬ』『ザ・ヤクザ』『ブラックレイン』に登場する日本、『ドラゴンへの道』ブルース・リーにどつかれ「あ痛! お痛!」とうずくまる日本人武道家、『ブレードランナー』「ひとつふたつで充分ですよ!」と連呼するうどん屋オヤジ、あるいは『ウインドトーカーズ』ニコラス・ケイジが喋る片言日本語「ドシタノ?」、はたまた『ライジング・サン』ショーン・コネリー「フジャケルナ!」…などなど、かつて映画史を「変な日本・日本人・日本語」が彩ってきましたが、この『キル・ビル Vol. 1』は、その決定版、ユマ・サーマン、ルーシー・リューの「ドウモ」「ココカラハ エイゴデ シャベリマス」「サッキハ バカニシテ ゴメン」「ハラニ イチモツ オアリノヨウデ」など片言日本語、はたまたいきなり挿入される「神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬れ」、気合の入った日本語ナレーション(担当:千葉真一)など脳みそがでんぐりがえるほど笑いのツボ、爆笑につぐ爆笑で、他のお客さんを引かせてしまったのは私です。すいません。
かといって「コメディ」「パロディ」と言ってしまうのはちょいと違う、と一人ごちるのです。メチャクチャカッコよすぎて、つい笑っちゃうみたいな?
それはともかく、深作欣二に対する追悼の言葉で始まり、梶芽衣子『女囚 701 号さそり』主題歌『怨み節』で終わるこの映画は、日本、加えて香港のプログラムピクチャ・B 級テイストの再現をめざしており、別に、「映画秘宝」読者、「日本映画オタク」の方しか楽しめないとは申しませんが、「変な映画」「悪趣味な映画」であるのは確かで、「笑いどころ」がつかみにくく、人知れず弥生座 2 でコッソリ公開されるべき作品なのかも知れません。
というか、血しぶきが舞い、首がぽんぽん跳ぶ悪趣味な映画が、大々的に宣伝され、数々の雑誌で特集が組まれ、MOVIX 京都のいちばん大きいスクリーンで上映されるとは、一体どういう了見でありましょうか。アメリカでは「青葉屋の惨劇」シーンはモノクロで上映されると漏れ聞きます。日本は「暴力描写に寛容な国」と言われているそうで、それすなわち「映画の中の出来事は、現実ではない」という、当たり前の認識を持つ成熟した大人が日本に多いから、と思うのですけど、「青葉屋の惨劇」をカラーで見られないアメリカの人はお気の毒でございますね。
ってそんなことはどうでもよく、プログラムピクチャ・B 級テイストをめざしていながら、65 億円の製作費を投じるのが、そもそも可笑しいではないか。プログラムピクチャの目標は何かといえば、「少ない投資で、最大の利益をあげる」であります。製作費はとことん切り詰められなければならない。製作期間は理不尽なまでに短くなければならない。スターはたくさん出演してはならない。セットは最小限、ロケも近場で済ませる。また、話は誰にでもわかりやすくなければならず、上映時間は 100 分を超えてはならない。しかるに製作費 65 億円、上映時間が 3 時間になっちゃったんで、急遽 2 部作として公開するとは、「ちょっと違うんとちゃうか?」と一人ごちたのでした。
大作であるからには、大ヒットを飛ばさねばならず、そのため大々的に宣伝し、雑誌にもバンバン露出することになります。そうすると、例えばユマ・サーマンが着ている黄色と黒のジャージが『死亡遊戯』からの引用であることを知らない、趣味のいいヤング諸君が劇場につめかけてしまうことになる。って別に構わないのですけれど、ダハハ! と大笑いして周りがシンと静まりかえるのはチトさびしいな、と。
そんな隣の席のデートカップルのことはどうでもよくて、大作でありながら大味にならず、B 級感覚を炸裂させたタランティーノの情熱に私は呆然と感動したのでした。と、いうか、タランティーノってホントにメチャメチャ映画好き、色んな日本映画を見ておられるのですね。たまげました。
って、悪趣味に耐性がある観客=「映画秘宝」愛読者でなくても、『キル・ビル』はオススメであることを書きたかったのですけど、長くなったので、続きは『キル・ビル Vol. 1』レビュー Vol. 2 で。
>> レビュー Vol. 2 に続く…
BABA Original: 2003-oct-29;- 関連記事
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「キル・ビル Vol. 1」