たそがれ清兵衛
『男はつらいよ』の山田洋次の 77 本目の監督作にして初の時代劇。幕末、貧乏侍・清兵衛(真田広之)は、妻を労咳で亡くし、老母(アルツハイマー)と二人の娘の世話をせねばならぬと、いつも夕刻にはそそくさと勤務先の城から家へ真っ直ぐに帰る毎日。そんなつきあいの悪い清兵衛に、城の仕事仲間はいつしか「たそがれ清兵衛」と陰口を叩くのであった…。ババーン!
清兵衛は、子供の成長を眺めて静かに暮らすことに人生の喜びを見出しており、出世願望はない。しかしひょんなことから腕が立つことがバレてしまって、藩命に逆らった余吾善右衛門(田中泯)の討伐を命ぜられてしまいます。嫌な仕事を押しつけられる清兵衛に、現代サラリーマンの悲哀を重ねることもできましょう。
清兵衛は、もし戦いに勝ったら幼なじみの朋江(宮沢りえ)を嫁に迎えることを決意する。そうでもしないと人を斬るモチベーションが高まらない、というわけですね。朋江への思いを告白する清兵衛が泣かせる! 侍はストイックでなければならず自由恋愛などもっての他なのですが、内なる「近代」が噴出します。こういう、不器用なカップルが、お互いに惹かれあっていながらなかなか結ばれない、というのは古典的ですし、山田洋次も『男はつらいよ』で何度も繰り返したモチーフです。真田広之と宮沢りえの好演もあって、大いに盛り上がるのであった。
しかし時すでに遅し、朋江は、「すでに決めた縁談があるでがんす!」と残酷にも告げる。ガーン! シュルシュルシュルー。プッスン。戦意を高めようとした清兵衛の目論見はあえなく挫折。うーむ。脚本的には、「戦いに勝てば朋江をゲットできる」とした方が盛り上がるはず。しかし、左翼・山田監督にとって、「暴力による戦い」は徹底的に無意味でなければならないのであった。清兵衛と余吾善右衛門との会話で、戦いの無意味さがますますクッキリと浮かび上がる。清兵衛は死闘をくぐり抜け任務を達成し、誰からも祝福されることなく家路につく。「戦士」は「公」のために命をかけて戦うが、「公」にとって「戦士」はただの消耗品でしかない。左翼・山田監督は、「公」意識の欠如を憂うナショナリズムに対して、一個の解答を提示したのであった。適当。
清兵衛は、山田監督自身にも重なります。山田監督は松竹のために、安定した興行収入が見込める『男はつらいよ』シリーズを作り続けました。また、シリーズ作の合間に発表したものは、『家族』『同胞(はらから)』など、日本共産党のプロパガンダ的な題材でした。会社のため、党のために映画を作ってきた面があったのではないか。しかし山田監督も齢 70 を越え、「好きなものを好きなように描く」域に達したようです。清兵衛とその友人が、川辺でノンビリと釣りをしていると、農民の子供の土左衛門がプカプカ流れてくるなど、これまで山田作品には見られなかった暗いリアリズムが漂います。ことに、「敵役」に前衛舞踏家・田中泯を起用しての殺陣は迫力満点であり、「山田監督が、こんな殺伐としたアクションを撮るとは!」と、私は呆然と感動したのでした。
山田監督は、敬愛する黒澤明の時代劇を越えようと格闘し、新しい時代劇を生み出しました。日本映画久々のマスターピース。バチグンのオススメでがんす。
☆☆☆☆(☆= 20 点・★= 5 点)
BABA Original: 2002-Nov-23;