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 Movie Review 2002・6月25日(TUE.)

キプールの記憶

 アモス・ギタイ監督の劇場用作品、待望の京都初公開。ユダヤ教の聖なる日ヨム・キプール。イスラエルの街の商店はすべてお休み、ユダヤ教徒は断食して過ごすそうで。1973 年 10 月 6 日、ヨム・キプールの朝、エジプト・シリア両軍が突如進軍を開始、このヨム・キプール戦争(第 4 次中東戦争)に従軍したアモス・ギタイ監督の「記憶」を描きます。

 アモス・ギタイ本人の投影らしい主人公は、予備役招集の報を受け、所属すべき部隊を探して中古の自家用車で美しいイスラエルの草原をノンビリ走り続けると、忽然と砲弾が飛び交う戦闘地帯へ到着。しかし、どうやら部隊に置いてけぼりをくらったようで、「お前ら、今ごろ何しに来たんや!」と怒られてしまい。友人と「どないしょ?」と相談、なんだかよくわからないうちにヘリコプターで負傷者を救出する医療部隊で戦争に参加、あれこれあって負傷し、「そいじゃ、そろそろ帰るわ」と平和に満ちた自宅へ向かう、というお話。なんたる戦争の気軽さ! と、私は呆然とイスラエルの戦争観の修正を迫られたのでした。規律なくして軍隊足り得ず、と思うておりましたが、かなりのいい加減具合。ケン・ローチが『大地と自由』で描いた、義勇兵の雰囲気に似ております。

 部隊が出動するのは負傷兵救出のため、戦闘が一段落した地域ばかりなので、敵の姿は見えず、何だかよくわからず戦車がウロウロしてるばかりなり。ひたすら負傷者を搬出し続けます。イスラエルの周辺戦闘地域は、激戦が戦われているようですが、都市部は平穏に満ちている。日本人にとって戦争とは非日常ですけど、イスラエルにあっては日常と地つながりなんですね。いや、イスラエルの戦争という非日常も、今、ただいまこんにち生活しているこの私の日常と繋がっている、戦争は日常の一部、戦争を非日常ととらえるのは間違っている、と卒然と気がついたり。

 この作品を「アンロッキュプチブル誌」(何)は「『フルメタル・ジャケット』以来、最も重要な戦争映画」と評しています。『フルメタル・ジャケット』は、誰でも戦闘マシーンになれること、すなわち普通の人びとと殺人マシーンとの連続性を描き出しましたが、『キプールの記憶』は、日常と、周辺に存在する戦争の連続性が見てとれます。エンターテインメント的な面白さという点では『フルメタル・ジャケット』にはかなわんですけど、自爆テロに対するイスラエル軍の報復戦争継続中のただいまこんにち現在、最重要の戦争映画と言えるのではないでしょうかー。適当。いや本当。

 そうそう、イスラエル軍は男女の混成部隊で、男女混成部隊で思い出すのは『スターシップ・トルーパーズ』。『スターシップ・トルーパーズ』って、イスラエルのお話だったのでしょうかね。

 イスラエル映画としては破格らしい 8 億円の製作費! …って、アメリカ映画に比べれば随分とお安く作られておりますが、戦車の轍によってずたずたにされた草原が延々と映し出されるスペクタクルとか、バチグンです。うーん、アモス・ギタイ監督作品もっと見たい!

 RCS による京都イタリア会館での上映は本日 6 月 25 日限り。ぜひ。…って無理?

☆☆☆★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2002-Jun-25;

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