パンと植木鉢
さてイランの国民的監督モフセン・マフマルバフの 1996 年作品は、自身の体験にもとづく映画、であるが、この一筋縄ではいかなさ加減はどうしたことか。
マフマルバフはかつて王朝打倒をめざす都市ゲリラに身を投じ、警官をナイフで襲って逆に撃たれて投獄、革命後釈放されて「これからは政治でなく、文化だ!」と映画製作に乗り出したらしい。そしてこの映画は、自身による警官襲撃事件を映画化する、ことを映画にした映画。なんだかややこしいが、見ればわかる。
現代のマフマルバフ宅を、モノ凄い顔をした男が訪問する。少女が出迎え、言う。「あんた、俳優になりたいの?(そんな顔で)」。モノ凄い顔の男は聞く。「なぜわかったんだい?(そんなにオレって男前?)」。少女答えて「うちに来る知らない人はみんな俳優になりたいって人だから(そんな顔でなれるわけないじゃん!)」。モノ凄い顔の男は、かつてマフマルバフにナイフで刺された元警官だったのだ、と設定され、ここから映画を作る映画が始まる。
映画は二手に分かれて撮影開始。モノ凄い顔の男が警官役の少年に演技指導するチームと、マフマルバフ本人が監督役の少年に演技指導するチームが平行しつつ、ときおり交錯しつつ進行していく。そして運命の日を再現する撮影を迎えるのだが…という、文章で書いても何がおもしろいのかちっともわからないだろうが、淡々と映画撮影の裏側をドキュメンタリータッチで描きながら事件の真相(?)が明らかになっていく過程がとてつもなくスリリングである。作り話を作る話、その外側にもきっとそれを作る話が存在しているのだが、それらの境界が混乱する一瞬がメチャクチャかっこよくって寒気がしました。
マフマルバフの映画はイラン人を熱狂させているらしいが、そういう熱狂に監督本人は懐疑の目を向けているのだ。映画の前半で、映画狂の仕立屋が映画話を繰り広げるシーンがある。映画狂にあっては映画は現実以上の現実だったりするのだろう。しかし映画は作り話なのだ。では、その映画を作る過程は現実か? といえばこれも作り話で、元々のマフマルバフが警官をナイフで襲ったという話も伝説・作り話なのかもしれない。枠組みをはずして視点を大きく取れば真実に到達できる、というものでもなく、当事者たちにとっても、事件はまったく違ったものとして捉えられている。では真実はどこにあるのか? それはパンと植木鉢の出会い、という「詩」によって表現されるものなのかも知れぬ。
なーんて書いていると小難しい映画のようだが、実際は、モノ凄い顔の元警官とか、笑うのは気の毒ではあるが思わず笑っちゃう爆笑シーンも多々あるので安心だ。おまけに上映時間はたったの 78 分と来たもんだ。あーおもしろかった。超オススメ。
BABA Original: 2001-Feb-16;
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