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Movie Review 2000・5月21日(SUN.)

アンドリュー NDR114

 タイトルバック担当はカイル・クーパー率いる‘イマジナリー・フォーセス’で、いきなりショボさ大爆発。一気に見る気が失せる。ロボットの話だから、文字でカッチャンカッチャン機械の動きを模す、というのはあまりに阿呆すぎないか?

 せっかくだからと眺めていると、原作はアイザック・アジモフの“Bicentennial Man”やん! ということなので俄然見る気がよみがえる(読んでないけど)。あまり宣伝されていないと思うのだが、アジモフでは興行価値がない、のだろうか?

 さて、中身はというと…。「家庭用」ロボットのアンドリューが、改良を重ねてどんどん人間になっていく様を描く。レプリカント前史。

 人工知能を持つロボットは、「人間」と認めてよいだろうか? という哲学的な命題を、『ホームアローン』などヌルいコメディで定評があるクリス・コロンバスが、適当な笑いを散りばめながら展開している。約 200 年にわたる物語で、2 時間 11 分の長尺。小道具の使い方・セリフとか、もっと練って、1 時間半くらいにまとめてほしいところである。

 アンドリュー=ロボットの着ぐるみの中身はロビン・ウィリアムズだそうだ。気ぐるみの外見も、彼を模したものになっていて、このロボットのデザインの力の抜け具合が、最大・最高の見どころであろう。ガンガン改良されて、結局外見もロビン・ウィリアムズになってしまうのだが、そうすると、途端に映画は眠くなってしまう。ロビン・ウィリアムズは中身だけに徹して、外見は違う役者が演じれば良かったのだ。例えばブラッド・ピットとか。

 ロボットが「人間の条件」を獲得していく過程が興味深い。キッカケは、アンドリューが子どものために木彫りの馬を作ったことによる。「どのようにしてこの馬をデザインしたのか?」と問われてアンドリューは「お子さんが喜ぶように」と答える。すなわち、「デザイン」とは、人間にとってもっとも原初的な行為なのだ。ロボットが人間になるにあたってのデザインの役割。

 やがてアンドリューは、旦那様に教育を受け、自分の財産を持ち、自由を獲得する。さらに外見的にも人間と区別がなくなり、恋をして結婚、「人間」とセックスまでしてしまう。この過程は、奴隷解放の歴史を模しているようでおもしろい。セックスまでしてしまうことに違和感を覚える人もいるみたいなんだが、この物語に対する反応は、その人の持つ哲学を顕わにするするものであろう。ボクは、別にロボットと結婚してもいいじゃん、実際、結婚相手を「道具」と見ている人もいるだろうし、と思います。

 ま、とにかく、「アンドリュー」のデザインで力が抜けまくるし、ちょっとだけ出てくる女性型ロボットも狂ってるので、オススメ。

BABA Original: 2000-May-21;

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